人生最後に10年も苦しみたくはない


残りの人生の健康寿命を考える

60歳を過ぎると人生について考えることが多くなるのは、残された人生がそんなに長くはないことに気が付くからではないだろうか。
平均寿命で言うなら男性は後21年、女性なら後27年は生きられることになっているが、健康寿命なら後12年と14年しか残っていない。
健康寿命とは健康に問題なく日常生活を送れる年月のことで平均寿命との差が男性で9年、女性は13年というデータが公開されている。

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どちらかと言えば平均寿命より健康寿命を長くしたいと誰もが考えているが、現実は人生最後に10年もの間、病で苦しんでいるのは間違いない。
しかもこのデータから言えば男性より女性は4年も長く苦しんでいることになる。
男性と女性を比べれば平均寿命は6歳も差があるのに健康寿命では2歳しか差がないからだ。
現在二人に一人は癌になり、七人に一人は認知症になると言われている。
しかも60歳を境に癌での死亡率が急激に上がっているのだ。
60歳過ぎて両親が健在ならその健康な姿を見習うべきことは多いはずだ。
もしそうでなくても自分の未来を重ねてみれば、今からでも修正出来る事を思いつくかもしれない。

私の祖母は動力ミシンで仕事を続けていたが、仕事量が減ったのを切っ掛けに「人様の仕事を奪っているようで気が引ける」と言って90歳で辞めてから体調を崩し、93歳で亡くなった。
その祖母が大晦日に餅を喉に詰め、救急車で病院に搬送されたが一命を取り留め一週間で家に帰ってきた最初の言葉が、「次は何もせずほっておいてくれ」だった。
救急車が来るまでに詰まった餅を必死で取り除いて功を奏したのだったが、本人としては「ほっておいてくれたら楽に死ねた」と言うのだ。

その言葉は今も私の胸に突き刺さっている。
仕事も辞め生きる甲斐を失くしてしまった祖母にとって、穏やかに人生を閉じることだけが最後の願いだったに違いない。
誰でも出来ることなら死ぬときは、苦しまずにコロッと冥途へ旅立ちたいと考えるのは当然と言える。
しかし近年の医療技術の向上でなかなかそうはさせてもらえなくなっているようだが、医療が唯々寿命を延ばすだけのものではなく、人として健康で生きるための行為であることを望みたい。

いつか見た映画で「生きることは戦いなのよ」と娘に教える母親のシーンがあったが、平均で10年も病で苦しんでいる現状を考えると正に戦いと言うべきで、もっと真剣に対策を考えるべきだろう。
そして戦わねばならない時期が人生の最後に集中しているのなら見過ごすわけにもいかないのだ。

人は60歳過ぎても今が健康なら人生は永遠だと思いたいばかりか、病や死に対して向き合おうとしないのはネガティブな未来を受け入れたくないからではないだろうか。
しかし後悔しないためにもこの逃げられない未来を受け入れた上で今を生きる方が得策だと思える。
60歳から健康で過ごせる期間を黄金の15年と言ったり、心身共に解放された時間などとポジティブに生きようとする考え方には共感できるが、そんな人生にするにはそれなりの意識や行動が必要なのだろう。

それまでから健全に生きてこられた方は別としても、喫煙や暴飲暴食を改めたり適度な運動などで生活習慣を改善してネガティブな未来のリスクを少しでも軽減するのがいいのだろう。

特に女性の場合は60歳を過ぎたころになると今まで守ってくれていた女性ホルモンが減少しているので、若い頃と同じ生活を続けていると重大な病を引き起こすリスクが高まると言われている。
認知症なども病めば家族を巻き込むことになるので予防行動を考えるのであれば60歳でも早くはないようだ。

美しく輝いた最後の人生を少しでも長引かせようと思うなら、今から改善するための意識や行動が求められるのではないだろうか。
死という人生の最後を悲観して受け止めるのではなく、この世に生きた証しを締めくくるのだと捉えるのはどうだろう。

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