若作りの生活習慣で健康寿命アップ
60代になれば孫がいる方も多く、世間的にもおじいちゃんと言われる年齢なのだろうが、まだその実感がない方も少なくないだろう。
特に健康にも問題なく、忙しく仕事に追われている方などは自分が老人だとは思いたくもないだろう。
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私が子どもの頃の記憶している祖父は60代だったはずだが、仕事をしている姿を見ていても立派なおじいちゃんであり老人だった。
母子家庭で育った私は生まれた時から父を知らないので、今の自分を祖父に重ねるしか方法がないのだ。
70代前半で亡くなった祖父は病で倒れるまで心身共に元気だったから、現在と比べてみても平均寿命は延びたが、健康寿命はそんなに延びていないのではないかと思えてしまう。
おじいちゃんとか老人のイメージは髪が薄く白髪でしわが深く地味な服装だったりするが、何故か抵抗したくなる。
実際50代頃から髪は細くなり薄くなるのに眉毛などは異常に伸びたりするが、元々ダンディーとは縁のない風貌の私はこれらの加齢現象に抵抗することにしたのだ。
白くなった髪は黒く染め、眉毛も若者のように細めにカット、ズボンはタックなしの細めの物を穿くようにしている。
こうした行為は外見だけのことで中身は何一つ伴っていないと言っていい。
若い頃から両眼とも1.5の視力を維持していたが最近の運転免許証の更新では眼鏡が必要と言われたり、少しのお茶やコーヒーでむせることが多くなったと感じ、風呂に入れば筋肉の衰えを鏡で見て取れるのだ。
この3年ほどで体にできる老人性のシミやイボは急に増えて、そこだけを見ているとまぎれもなく老人と言わざるを得ない。
世の男性は往々にして「人は外見じゃないよ」とか「内容が伴わないといくら着飾っても」などと言い、特に田舎では農作業で多忙な人が多く「格好などかまっていられない」とお洒落など興味もない人が多い。
そのような意見はもっともだと思うし、ましてや抗言しようなどとは考えもしないが、私が実践している「見た目だけでも若作り対策」によって老人自覚からは遠ざかり、想像や妄想などの脳内神経もリフレッシュできていることは健康維持や認知症予防にも貢献していると感じる。
ところがテレビを見てくつろいでいる時などは、つい背中が曲がり老人に戻ってしまっているが、娘の指摘で我に返ることがある。
やはり気を許せば老人はすぐそこにあると感じる一瞬でもある。
お洒落な服装より先に必要な若作り対策は背筋の伸びた姿勢であったり、滑舌の良い言葉なのだろう。
何も意識せずにありのままに生きていくなら、60歳を境に老人になっていくのが自然なのだろうが、その先に待っている老人であるが故の健康リスクもそのまま受け入れる覚悟がないので、できる限りの抵抗を考えているとも言える。
日本の平均寿命(男性81歳、女性87歳)が延びているのはただ医療技術が進歩したことに起因しているだけで、10年近い健康寿命(男性72歳、女性74歳)の差が埋まらないのは、人々の60歳からの意識が変わらないのが要因なのではないかと勝手に想像している。
厚生労働省は生活習慣の改善や健康診断の充実で、平均寿命と健康寿命の差が縮まり社会保障費の抑制につながると言っているが、その至極当然なことすら簡単に進まないのは、誰も60歳過ぎたからと言って老人扱いされたくないと感じる拒否反応があるのか、若しくは自覚がないかのどちらかではないのか。
しかし60歳からの健康を考えた場合、病の早期発見や医療技術より先に生活習慣の改善があり、その生活習慣には姿勢や言葉、ファッションや見た目の若作り意識が大きく影響すると考えたいのは私だけではないと思う。