
老後になって楽器演奏に出かける切っ掛け
田舎暮らしなのに毎月セッションできる喜び 定年退職後に若い頃やっていた音楽趣味を再開して家でひとり練習していたがコロナも開けて新しい世界に...
田舎暮らしなのに毎月セッションできる喜び 定年退職後に若い頃やっていた音楽趣味を再開して家でひとり練習していたがコロナも開けて新しい世界に...
デュオリンゴアプリで定年退職後の趣味語学 仕事など差し迫った目的ではなく趣味としての語学を試みた。 Duolingo(デュオリンゴ)とい...
定年退職から五年が経ち一度立ち止まって振り返ってみた。それはもちろん反省もあるがこれからの道を探す目的のためでもある。 やりたいことをやっ...
私が最初にYouTubeチャンネルを作って投稿したのは定年退職した翌月だった。その時の投稿動機は「何か楽しそう」とか「ひょっとしてうまくいけば年金の足しになるのでは」といった曖昧且つ適当なものだったが現実はそう甘くはなかった。
60歳過ぎてから「もし若ければやってみたいことは?」「もし元気ならやってみたいことは?」と聞かれたら何と答えるでしょう。 私なら冒険心を揺さぶるような世界旅行とでも答えるのでしょうが、60歳過ぎていても元気ならまだ実行できないという訳でもありません。
運は偶然の産物で意図して生まれるものではないと考えるなら、この後を読むのは時間の無駄になるだろう。 私が運は偶然だと思いたくない理由は、その運が定年退職によってリセットされたように最近感じているからだ。
サラリーマンの常識である年金制度は永遠に続くのだろうかと考えた時、おそらく誰も永遠に続くとは考えていなだろう。それでも自分が生きている間は大丈夫だろうと思っている人、もしくはそう思いたい人は多いはずだが、重要なのはいつまで続くかという予測だ。
サラリーマンで身に着けた、比較して得る喜びを捨てなければ定年退職後の幸せは薄くなる。 しかし人が本来持っているアイデンティティの概念を取り戻すのが難しいのは、長年のサラリーマン人生で常識化した比較脳に依存しているからだ。
「OKグーグル、岡山県南部の天気は?」「OKグーグル、音楽かけて!」「OKグーグル、ボリュームを少しだけ下げて!」「OKグーグル、ホームセンター探して!」など、最近もっぱら多く話しかけている相手がGoogleアシスタントだ。
生涯サラリーマンで人生を送った方々が最後の夢を語る時「日本一周が夢」と言う人は少なくない。 しかしそれは夢に描いたほど美しいものでも、わくわくするほど心を振るわすものでもないことが分かってきた。