定年退職して半年の反省

定年退職して半年

定年退職して半年が過ぎようとしている。
ここで半年の区切りとして反省をしてみようと思う。
反省をするのは今から半年後に同じ悩みを抱かないために行うのが目的だ。
反省とは自分の過去の行動や言動を振り返り評価を下し、間違った行動などを意識して改めることにある。
私は「今の悩みは過去の行動の結果だ」といつも言い聞かせているが、半年前を振り返ってみても悩みはいつも同じようなもので一向に改善された気配を感じることができないでいる。

退職して半年たっても心のどこかに現役当時の気持ちを捨てきれずにいるのだろうが、思い通りに行かないことに動揺し、将来を不安視してしまう。
さほど大した行動をしている訳でもないのに、その結果に満足できず行動自体を悲観的に考えてしまうのは「後ろ盾も何も持ってはいないただの人」に成りきれていない証拠なのではないだろうか。

毎日の生活が充実していないと感じているのは期待が大きすぎたからだろう。
退職するとき抱いた何の根拠もない期待を半年過ぎても捨て切れていないのは、まだどこかでありもしない奇跡を夢見ているからだろうか。
退職してからこの半年間何もしなかった訳でもないのに豊かな心に程遠いのは、自分が立てた目標に対する行動が不完全であったこともその要因になっている。

このところ反省ばかりでどうしてもネガティブな感情ばかりが前に出てしまっているので、次の半年を少しでも意義深いものにするために、この基点から改善していかなければならない。
そこで退職から半年の反省から見えてきた改善点を箇条書きで例を挙げるとこうなる。
奇跡は起こらないので期待はしない。
・後ろ盾も看板もないただの人と自覚する
欲を捨てなければ心は満たされないと思い知れ。
・充実感を味わいたいなら自ら苦痛を強いる
・日々の暮らしに意義を求めるなら怠けずに行動しろ

何の具体的目標もなくただ「最後の人生を心豊かに今までとは違う人生にしたい」と思って退職した男の半年後の反省なので、賛否はあろうが聞き流して頂きたい。

40代で最後に転職した時に次の就職先を紹介して頂いたり、企業側から声を掛けて頂いたりした経験があり、その記憶がどこか心の隅で邪魔をしていたりする。
「きっとどこかで私の力を求めている人がいる」と間違った期待をしたりするが、もうそんな期待はしない方がいい。

サラリーマンの定年退職とは後ろ盾や看板、人脈までもその会社に置いて去り、ただの人になることだと分かってはいても半年経っても未練が残っているのだ。
更に欲が全て悪いとは思わないが、欲が欲を生みいつまでたっても満たされることはないと、この歳だからこそ自覚していなければならないと思っている。
今の自由で開放された時だからこそ、自ら苦痛と思えるほどの忙しい一日を過ごさないと充実感など味わえないだろう。

テレビを見ていても何もせずにゴロゴロしていても、本を読んでいても時間は同じように過ぎていくが、目的を持って過ごした時間の方が有意義なのは言うまでもない。
これからの半年を意義深く過ごすためには目的を持った時間を今より多く持ち、生活にメリハリを付けることが出来なければ、また半年後に同じように悩むことになるだろう。

今している事を継続したり新しい事に挑戦しようと思うと、期待はせずに希望を持つことが先へ進むポイントのような気がしている。
その違いをうまく説明できないが、目先の期待や奇跡を期待してはいけないが、新しい事に挑戦したり失敗しても挫けず継続するためには希望を捨てることはできないと考えて間違いないだろう。

何十年もサラリーマンとして管理されてきた人間が、自ら管理することの難しさを思い知る半年であったが、その時間をまったく無駄に過ごしたのではなく結果が出ていないだけで、少し見方を変えれば方向転換の道標がそこにあるのだ。
半年前の決断が間違っていなかったことにするにはもう少し努力するしか道はないだろう。

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