
誰だか知らないが将棋で一泡吹かせてやった!(兵庫県福崎駅前)
しらけ世代の強みを知る
今まで自分が生まれた世代を「団塊近くで生まれた世代」と言っていたが、実はしらけ世代ど真ん中だ。
中にはしらけ世代に生まれていながら団塊の世代だと勘違いをしている人も多いのではないだろうか。
確かに私は否定できないしらけ世代特有の価値観や性分を備え持っていると自覚している。
しらけ世代とは
しらけ世代とは、1950年から1964年にかけて生まれた世代を表している。
因みに団塊の世代とは1947年から1949年に生まれた人たちのことだ。
特に政治に関して無関心であることで三無主義と呼ばれていたが、三無とは無気力無感動無関心のことだった。
そしてクールで自分をさらけ出すことを嫌い、空気を読んでうまく立ち回って何を考えているのか分からない年代とも言われている。
学生運動に象徴される焼け跡世代から団塊世代を含める全共闘世代の熱い人たちとは対照的とされてきた。
そのせいで最も分かりにくく付き合いにくい世代の代表になっているようだ。
当時何かに一生懸命になるとか真面目に取り組むということが野暮ったいと考えられていた世代でもある。
しかしそのしらけ世代が熱い全共闘世代の暴走を止め、クールダウンさせてきたのではないかと思えるくらい平和主義でもあるのだ。
今定年を迎えているのはしらけ世代
今全国で定年を迎えているのが、その平和主義のしらけ世代の人たちだ。
「しらけ世代」という言葉の響きは非常に良くないが、今の平和な世の中を中心になって築いてきたのだから「平和主義世代」と呼んで頂きたいと思うのは私のエゴイズムなのだろうか。
そして、しらけ世代のいいところはクールなだけではない。
世の中の流れにうまく乗りながら立ち回って何でも根気強くやり遂げる力を持っているところが評価できる。
しかしそれを一生懸命とか真面目に努力したと見られるのをダサイと思うから、他の人には伝わらず分かってもらえないことも多い。
そんな団塊世代にも引けをとらないくらい、いや引けをとらないどころか団塊世代より多くのしらけ世代が今、定年退職により社外へ放り出されているといっていいだろう。
忘れているしらけ世代の文化
自分の好きなことや趣味など一つの分野に傾倒しすぎる人のことを「オタク」と呼ぶが、日本でオタク文化が最初に生まれたのがしらけ世代だ。
正にオタク第一世代がしらけ世代なのだ。
セガのポントロン(卓球ゲーム)というコンピュータゲームに始まり恋人同士の貧しい暮らしを表現した四畳半フォークに見られる孤独感がしらけ世代文化の特徴だ。
その当時から幸せはお金ではないというメッセージを発し、貧しさの中の幸せを美しく表現し、誰もがそれに共感してきたのだ。
一人でコツコツとオタクっぽく何かに打ち込み、根気強く継続する力はしらけ世代にとって得意技と言ってもいい。
そしてニューミュージックと言われ洗練された音楽を作った荒井由実やファッション雑誌を片手に持った女性の一人旅で旅行業界に一石を投じたアンノン族もしらけ世代文化だ。
しらけ世代の能力を思い出せば組織はいらない
もう一度しらけ世代の青春を思い出すと、定年退職して組織から離れ一人になっても寂しさを怖がる必要はどこにもない。
孤独や貧しさは我々しらけ世代にとって悪ではなく美学だと思えばいい。
そしてそれを楽しむかのようにオタクになればいいだけの話しだ。
不安になった時は荒井由実や井上陽水の音楽が心を癒してくれるだろう。
我々が団塊世代前の人たちのように柄にもなく熱い思いを語ってみたところで、そんなパフォーマンスが受け入れられることはないだろう。
地味にコツコツとオタクっぽくセンスのいいものを作り出すのが、しらけ世代には似合っている。
これだけの強みを生かさずに人生を終わらすことはないのではないかとさえ思ってしまう。
本当は不器用なしらけ世代
シニアになったしらけ世代は「誰に何を言われようが気にするなかれ」と我に言い聞かせなくてはならないだろう。
三無主義なのもクールであることもうまく立ち回ることすらもしらけ世代にとっては人生を生き抜くための戦略だったのかも知れないのだ。
熱い団塊の世代の下で幸せに生きる手段が、事なかれ主義を貫くことだったと言えなくもない。
長年サラリーマンとして生きてこれたのも平穏を好む、事なかれ精神のお蔭でもあるからだ。
しかし定年退職して組織から離れたのなら、もう事なかれ精神からもおさらばしてもいいだろう。
長いサラリーマン人生で身についた生きる術を簡単に脱ぎ去ることも難しいだろうが、必要ないものを身に着けて窮屈な思いをするより「誰に何を言われようが気にするなかれ」と言い聞かせながら心を自由に慣れさす他ないのだ。
世間には器用だと思わせ振る舞ってきたが、実はしらけ世代ほど不器用な世代もないだろう。
「出来て当たり前」「失敗は恥だ」「チャンスは一度切り」などと言われ、それが常識のように教えられたから無理をしていただけなのだ。
しらけ世代の第二の人生は不器用を武器に生きるくらいが丁度いいのだろう。
しらけ世代だと胸を張れ
団塊の世代や氷河期世代(団塊ジュニア世代)そしてゆとり世代といった言葉はよく聞くが、しらけ世代のことを聞くことは少ないのではないだろうか。
団塊の世代は1947年から1949年の3年間しかない世代なのに対し、しらけ世代は1950年から1964年までの15年間のことを言っているにも拘わらずだ。
いくら団塊世代の人口が多いとはいえ、15年間のしらけ世代の人口の方が多いのは明らかだ。
このしらけ世代が今定年退職により人生の分岐点に立たされているのは先ほども書いた通りだが、一度過去を振り返ってしらけ世代の強みを思い出し最後の人生に生かすことをお勧めしたい。
我々しらけ世代にはオタクっぽく限られたことに集中し、粘り強く恰好を付けずに継続することが相応しいだろう。
それ以外のことには三無主義(無気力無感動無関心)と言われても何も気にすることはない。
振り返ってみれば我々「しらけ世代」が一番幸せな人生を送ってきたと言えないだろうか。
戦争も知らずに生まれ、社会人になった時には高度経済成長の流れに身を任せているだけで生きてこれたのだ。
言い方を変えれば平和主義を貫き、幸せな日本を守ってきたのがしらけ世代だとも言えるだろう。
これからも堂々と「しらけ世代」だと胸を張って生きて行きたい。