60代はアウトロの始まり


60代で考えること

アウトローと似ているので間違えないでほしいが、アウトロとは主にポピュラー音楽用語で楽曲の終結部のことを表すイントロの対語だ。
映画などに例えるとエンディングということになるのだろうが、映画の場合は全て解決されて終わるストーリーばかりではなく問題を残したまま終わり、後で考えさせられるような物語も存在する。
それに対してポピュラー音楽構成で言うアウトロの場合は、いくらサビで緊張したり高揚していても最後のアウトロになると解決して落ち着き、気持ちよく終りを迎えるようになっている。

そのような意味では人生も映画的ではなく音楽的に最期を迎える方が好ましいと思えるのだ。
現在男性は72歳が健康寿命とされているので、60歳を区切りにしてその後の人生を終結部と見なし安泰に終えるには、今までの緊張やストレスは解決しておく必要があるのだ。
音楽に例えるなら最高に高揚し、テンションの聞いたサビも過ぎ段々と落ち着いたハーモニーに身を浸す段階にきている。

ただ60歳になったからすぐに全ての緊張を取り去って平穏だけにしてしまうのではく、今から70代に掛けてゆっくり徐々に解決していくのが得策なようだ。
今の日本では7人に一人が認知症を発症すると言われているが、全くストレスがない状態は却って認知症を早めることに繋がるというのだ。
勿論極度のストレスは病気を誘発することになるが、人間にはある程度の心地良い程のストレスは必要とされている。

私が一人旅で海外に行きたい理由もテンションを求めての事で、そこにはちょうどいいテンションが存在していることを知っているからだ。
毎日家に閉じこもっていることはノーストレス状態だが、そのこと自体が悪いストレスに変わってくる。
最近気が付いたことだがストレスフリーで生活をしていると、ストレスに対する免疫力が落ちていて、突然襲ってくるさほど大したこともないストレスにも打撃を受ける程ストレス対処力が落ちている。

この前の大風第21号で受けたストレスは、実際被災された方々に比べれば蚊に刺された程度に過ぎないが、ストレス対処力の低下で精神的ダメージは大きかった。
それが2週間経過した今日、全て解決したので気持ちは軽くなりスッキリしている。
アウトロ的にも(SUS4からトニックに進行したような)ほんの少しのテンションから解き放たれた爽快さに過ぎないが、そのポピュラー音楽的な一連の流れは人生においても共通している事を学んだ気がする。

仕事などでもストレスというテンションが継続して途切れることがないのなら、その仕事は辞めてでも一度解放してやらねばならないだろうし、解決して得た爽快さを忘れなければ次のテンションに向かって行く勇気が沸いてくるだろう。

60歳からの限られた人生でも、たまにはテンション(緊張)を味わい、解放された爽快さを忘れず、解決に向けて行動するようにしようと思うが、平均値であと10年の人生をどう解決していけばいいのだろうかと考えさせられる。