定年退職見直し感情
定年退職をして勤めていた会社から離れると、背負う物が何もなくなる代わりに気持ちも変えなければ家庭内でも地域でも受け入れてもらえないかも知れない。
もう頼ってくる者もいなくなると思わなくてはならない。
目次
1. 承認欲求が招く退職後の家庭不和
2. 自己顕示欲が退職後の人間関係を悪くする
3. 栄光欲が最後の人生をダメにする
4. 執着心を味方にしてこそ幸せになれる
5. 価値観を変えなければ人生を無駄にする
1. 承認欲求が招く退職後の家庭不和
承認欲求とは「認められたい」と思う気持ちだ。
特に定年退職した男性の場合は承認欲求の強さが家庭で表れる例が多いようだ。
「今までこの家を支えてきたのは誰だと思っている」といった感情が強く出て、同居する妻や成人している息子や娘にストレスを与えてしまう傾向が見られる。
定年退職するまでもその傾向は伺えたが仕事をしている頃は家族と顔を合わす時間も短く、休日もゴルフや釣りなどの付き合いで家にいることが少ないから家族が何とか辛抱できていただけなのだ。
それが定年退職という世間的にも認められた退職で家にいる時間が多くなり、家族との接点が急に増えたのが自己中心的な態度を目立たせる原因になっている。
元々承認欲求が強い人は会社でも高い地位にいたり、若くから出世をした人に多く見受けられる。
会社で多くの部下や取引先の人から長年受けてきた気遣いが当然のように勘違いして、退職後も「敬われて当然だ」などと考えて家庭の中に入ってしまう。
だが毎日家の中で理不尽な態度をとられたら、家族はたまったものではない。
家族にストレスが溜まり限界がくると熟年離婚の原因になっても不思議ではない。
2. 自己顕示欲が退職後の人間関係を悪くする
承認欲求にも似た自己顕示欲という感情は退職と共に捨てないと、自分の周りから人が離れて行くばかりか新しい人間関係も作ることはできなくなる。
例えば還暦過ぎる頃になると小学校の同窓会案内が送られてきたりするが、そのような会に出席して自分が仕事で成した成果などをアピールすれば嫌われても仕方ない。
自分を必要以上にアピールしてもそんな話に興味を持ってくれる人など誰もいないのだ。
承認欲求と同じく自己顕示欲の強い人もまた、負けず嫌いで出世した人や起業して成功した人に多いようだ。
会社で主導権を握っている人やワンマンな中小企業の経営者に多いタイプと言える。
自己顕示欲は定年退職すれば人間関係を悪くするだけで何の役にも立たないので、一番先に捨て去る感情ではないだろうか。
元々人望のあるひとはアピールなどしなくても人が寄ってくるものだ。
定年退職すれば主導権を握ろうとせずに人の話に傾聴の態度で向かい合い、人の悪口や噂話は避けるのが常套だが嫌われない手だてなのだ。
3. 栄光欲が最後の人生をダメにする
栄光欲とは人の評価で自己の評価を高めたいという感情だ。
例えば「あのオリンピックで金メダルをとった選手は私が卒業した学校の後輩なんですよ」といった自慢のことだ。
社会的に高い評価を受けている人との繋がりを強調して自己の評価まで高めようとすることは、少なからず自尊心に影響を及ぼすが定年退職者にとってはあまり意味のあることのようには思えない。
若い人ならこれからの人生に目標を持ち栄光欲をモチベーション維持に利用することもできるだろうが、還暦を過ぎた人には他人の評価を自分に重ねなくても冷静に自己評価を下せる年代だからだ。
返って他人の評価ばかりを自慢するようなことでは、自分がこれから進もうとしている道を惑わすことに成りかねない。
最後の人生となった人には人様の栄光などイヤリング程度の飾りにもならないと言っていいだろう。
それどころか逆に栄光欲が自尊心を低下させ、希望も持てないまま人生が過ぎていくのではないだろうか。
4. 執着心を味方にしてこそ幸せになれる
とにかく執着心と聞けば悪いイメージを想像するのが一般的だろう。
特定の人に執着するストーカー行為であったり、ギャンブルに執着して人生をダメにしたなどだ。
だが元来執着とは一つのことに心をとらわれ、そこから離れることができないといった意味を持ち、人や物だけでなくあらゆる事柄に使える言葉だ。
もちろん悪い意味に於いての執着は必要ないが、定年退職者になったなら何かにこだわることは最大の武器になるのではないだろうか。
私の住んでいる地域でも多くの定年退職者が農業に専念しておられるが、そのほとんどの人がこだわりを持ち農業に執着して汗を流されている。
何もすることがないのでしぶしぶ農業をするのと、とことんこだわって農業をするのとではどちらが幸せなのか聞かなくても明らかだ。
どうせやるなら人に陰口を言われるくらい没頭してみたいものだ。
そんな執着にはしつこさや継続できる強い心が必要だが、他人に迷惑をかけるような事柄ではない。
黙々と一つのことに執着し打ち込むことは誰にも真似ができることではないだろうが、そんな人生を羨ましいと思えるのは私だけではないだろう。
執着心がネガティブな感情として捉えられることが多いが、もし味方にできるなら最後の人生を変える唯一の希望になりそうだ。
5. 価値観を変えなければ人生を無駄にする
還暦を過ぎ最後の人生に差し掛かったなら、見栄や欲は足かせにしかならないと言っても間違いではないだろう。
特にお金や時間は人によって大きく価値観が異なるが、豊かな心であったり幸せ感といった感情がお金の執着によって邪魔をされたり、時間の使い方に左右されると感じている。
お金はいくら貯めようがその時点で価値を見い出せないし、使い方でも大きく価値は変わるだろう。
例えばギャンブルに使うお金や時間の価値と、人の幸せを願って使うお金や時間の価値は言うまでもあるまい。
どちらの価値観が自分の人生を幸せに導いてくれるのか、その最後に与えられたチャンスこそが定年退職であると信じたい。
60年も変えることのできなかった価値観をそう簡単に変えることなどできないだろうが、このチャンスを逃せばもう後はないと考えた方がよさそうだ。
価値観を変えることが幸せへの第一歩となってくれると願うばかりだ。