使えない退職金は老後の支え?

Steve BuissinneによるPixabayからの画像

退職金は老後の杖になるのか?

昨日は近くの友人が来たので話しを聞いた。
65歳の友人は退職金は使えないと言って農業で収入を得ている。

退職金はなぜ使えない?

近くに住む友人が定年後、この地域の集落営農組合で働いているのは農業が好きだからだと思っていたが、昨日聞いてみると「決して農業が好きな訳ではない」と言う。
それではなぜ好きでもない仕事をしているのか聞くと「好きなゴルフにも行きたいし年金だけでは遣り繰りが大変だから」といった理由だ。

長年勤めた公務員を定年退職しているのでそれ相応の退職金も入っているが、「退職金は使えない」と言うのだ。
「なぜ退職金を使えない?」と聞くと「退職金はいざという時のために必要だから生活に使うことはできない」と言う。

いざとはどんな時かというと、例えばまだ独身の子どもが結婚する時や自分が病気になった時、災害で家に損害が発生した時や思わぬ事態が起きた時などのことだ。
「なるほど」と納得するまでもなく多くの日本人は同じ考えを持っているのではないだろうか。

この退職金を含めずに老後資金を考えると今年話題になった老後2,000万円問題どころの話しではない。
退職金を使えないとするなら老後資金には入れることができないので、年金以外に老後に必要なお金は遥かに足らないことになる。

退職金や貯蓄額だけで老後の不安は図れない

一般的にメディアの情報は大方平均値で表現されるので、定年退職金は2,000万円と聞くことが多い。
現に転職サイトで調べても定年退職金の平均は1,941万円と書かれている。

しかしこれはあくまで平均であって、私のように何度も転職を経験している人には退職金と言えるほどの金額は受け取っていない人も少なくないのだ。

話題になった老後に2,000万円が必要とすることが真実なら、おそらく日本人の半数は老後生きていけないことになりそうだ。
だが実際にはそんなこともなく、誰もが何とかして生きている。

定年退職金以外にコツコツ貯めている人も多いだろうが、60歳の平均貯蓄額は1,500万円を上回ると書いているメディアが多いので驚かされる。
しかしこれもまた平均値でしかないのだ。

中には定年退職金も貯蓄額も平均値以上だが家のローンが残っていたり、返済しなければならない負債を抱えている人も多く一概に退職金や貯蓄額だけでは老後の安定を図ることはできない。

使えない退職金の価値は低い?

確かにいざという時にしか使えないとはいえ実際に2,000万円を持っていることは老後の安心に繋がる。
しかしこのお金を使うことなく人生を終えることになる人が多いのも事実だろう。
それでも子孫に残せると考えれば誰もそれが間違いだとは言えない。

「そんな使えないお金は何の価値もない」と言いたいのは私のような持ってない者の僻みでしかない。
だがそうでも言わないと退職金も貯蓄も平均以下の者は老後不安しかない中で暮らしていかなければならなくなる。

不安ばかりが募れば何とかして仕事を探し収入を得るのが先決になり、心豊かな楽しみ溢れる老後など夢のまた夢でしかなくなるだろう。
それならいっそのこと持っている人のことを羨むのではなく「退職金も使ってこそ価値があるのに」と言って自分を納得させる方が実のある話しになるに違いない。

お金を持っている人に限ってお金がない現状

私のように「年金を考慮しても老後資金に不足が出ることは明らかだ」と自覚している者でも将来を悲観して考えてはいない。
「まあ何とかなるだろう」とポジティブに捉え好き勝手に定年後の人生を送っている。

返ってお金を持っている人の方が不安材料が多く、お金に執着している人が多いと感じる。
お金の量で幸せ感が変わる訳でも、お金で死後の楽園が買える訳でもないことは誰もが分かっている。

60歳過ぎれば価値観も変わり若い時のように物で得られる幸せ感も少なくなっているが、なかなかそのことに気付かない人も多い。
いやまだ若い時と同じように物に執着したい人は幸せなのかもしれない。

例えば若い時は、人が乗っていないような車に乗り優越感に浸ることも幸せに感じたりするものだ。
自己肯定して優等感を感じたい年頃ならお金も必要だが、60歳という年齢にそんな感情は相応しくない。

歳をとっても好奇心によって得たい何かにお金が必要なことも否定できないが、既に優越感や優等感は必要なく唯の不安解消だけのお金なら返って不安が不安を煽るのではないかと言いたいだけだ。

「お金を持っている人が陥りやすい負の連鎖が不安が不安を煽る悪循環だ」と何ほど言おうが、退職金も貯蓄額も平均値にほど遠いお前の僻みと言われて反論も許されないのは分かっている。
だがそんな平均値以下の者も人生を楽しく生きる権利はあるはずだ。

「お金がない分、健康で楽しく最後の人生を生きてやるぞ」といきがってはいるが、この瞬間もその努力を怠れば自分を見失いそうだ。

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