自由とは名ばかりの定年退職

働き方改革で出来た時間ですら持て余す人もいる

束縛からの解放は夢のような時間のはずが?

サラリーマンが定年退職をして感じる最高の喜びは自由を得た事にある。
朝起きて出勤しなくていい事や、行動予定の確認をする必要もなく、書類の作成や会議の出席もないから時間に縛られるようなことは何もない。

現役中はサラリーマンであるが故に仕方なく行っていた行動で、それこそが束縛された時間と感じていたはずだ。
何十年も毎日のように繰り返された行動を敢えて束縛行動と言おう。
定年退職はその束縛行動から解放され、ずっと夢見みてきた自由を手に入れることができる。
人には個々の性分があり、その性分によって束縛の感じ方にも違いがあると思われるが、束縛意識が強い人ほど、自由な世界に解き放たれた解放感は大きいはずだ。

しかし退職して数ヶ月が過ぎると、そこに一番の問題があることに気付くことになるだろう。
束縛されない自由な時間を楽しめるのはせいぜい3ヶ月か4ヶ月程度だ。
その時期を過ぎてくると、あれほど夢見てきた自由な世界を持て余してくるのだ。
朝は何時まで寝ていようが何の問題もないが、何十年も出勤時間に間に合うように起床していた繰り返し行動を簡単には変えることすら出来ないのだ。
新聞を読む時間がないほどギリギリに起床して、出勤してからニュースを確認していた私でさえ、更に1時間以上早く目が覚め時間を持て余す程になっている。

時間に追われる仕事もなければ、誰に注意を受けることもない。
部下の行動や実績を気にすることもなければ、上司の顔色を伺うこともないのだ。
ましてや会社であろうが役所であろうが組織の中に身を置いていれば、必ず天敵と言っていいほど自分には合わない人格の持ち主がいるはずだ。
そんな最も苦手な人とも会う必要が無くなることだけでも贅沢なことだと感じていたはずなのだ。

そんな幸せであるはずの束縛のない自由な生活が、時間の経過と共に次第に苦しみへと変わってくる。
「そんな大げさな」と思われる方もあるだろうが、実際に経験して感じたことを本心から伝えたいのだ。
私が聞いた話しの中には、市役所を60歳で定年退職して2年も経たないうちに認知症を発症した人や、65歳で役員を退いた方が倉庫の掃除でもいいから再雇用してくれないかとお願いされた人、70歳にして道路工事の現場員を「そろそろゆっくり休ませてくれ」と言って退職された方が3か月後に「もう1年だけでも使ってもらえないか」と懇願された人などの話しがある。

そのくらい自由とは名ばかりの何もすることがない生活に首を絞められるのだ。
特に在職中忙しく仕事をして、あちこちに神経を使っていた人が急に何もすることがない状態に陥れば、その異常とも言える環境変化に肉体も精神も対応できなくなるのだろう。

退職しても「今まで出来なかった趣味を精一杯するから私には当てはまらない」と思っていると大間違いかも知れない。
無い時間を削って一生懸命するのが趣味であって、毎日それしかしないのなら、それはもう趣味とは言えないのではないだろうか。
飽きることもなく毎日朝から晩まで時間も忘れて打ち込めるものが本当にあるとするなら心配することはないだろう。

サラリーマン時代は組織に自分の時間を管理して頂いていたのだ。
何十年にも渡り自分で管理していないので、今更管理しろと言われても無理だというのが正直な所ではないだろうか。
今度は60歳を過ぎてから自己管理の方法や日課にできる行動と遣り甲斐などを自らの力で見つけなければならない。

サラリーマンのことばかりを言っているが、自営業の方々も隠居するなら同じようなことが考えられる。
しかし私の知り合いの自営業の人などは、「もう息子に任せて引退する」などと言いながら大きな責任だけを息子に渡し、「障害現役」と言い張って仕事を続けている人がほとんどだ。
仕事を辞めても時間を忘れて取り組めるほどのものも無い人がほとんどなのだ。

これらを教訓とするなら、サラリーマンは退職する10年以上も前からこのことについて考えておかないと、思いもしない苦境に陥ることを忘れてはならない。

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