昭和人と平成人

時間が経てば何でも古くなる

その時代に生きるコツはあるのか?

平成になって30年にもなるが、来年(平成31年)新天皇が即位されれば年号も変わり、次の時代がやってくる。
平成元年に生まれた人も来年には30歳になるので、そのうち働いている人も多くなってきているはずだ。
生まれた歳ではなく平成になってから社会人になった人を平成人とし、それまでの人を昭和人とするなら既に平成人の方が多くなっているのではないだろうか。

そのような分け方で昭和人と平成人の違いを探っていけば、昭和人にとって今の時代を生きる事が如何に難しいかと思えてくる。
高度経済成長期に入ったとは言え、まだまだ物が少ない時代に生まれ、第二次高度成長期やバブル景気の流れに身を任せながら生きてきたのが昭和人なのだろう。
どの時代にも並々ならぬ努力をされた方がおられるのは否定しようもないが、そうでなくても時代の波に乗っていれば何とか生きてこられたのも昭和人だと感じている。

昭和人の特徴がまじめだが不器用と感じるのは私だけだろうか。
些細な事も気になる一方、表現力は不足気味でコミュニケーションは感覚的なのだ。
故に他人の事が気になり、勘違いや被害妄想も多いように感じる。
他人の事が気になるだけならいいのだが、他人の目も気になるから思い切った行動も遠慮してしまう事が多い。
コツコツとまじめに働くので大きな失敗もしないが、リスクに敏感で決断に時間が掛かる。
「それはお前の特徴だろう」とお叱りを受けそうだが、私なりに平成人との違いを感じるところだ。

バブル景気の恩恵などを社会人になってから受けていない平成人にとって、生きていくことが自分の能力に直結していると思われる。
そのせいか表現力も多彩で遠慮がない。
何も昭和人をけなして平成人を褒めているのではない。
その生きた時代によって昭和時代に育てられた者と平成時代の環境に育てられた者の違いなのだろうと思っているのだ。

時代は変わっているのにそれについて行けていない昭和人が、平成人と同じように生きて行こうとするなら人の目は気にせず、遠慮もせず、大袈裟に表現するよう心掛けるくらいがいいのではないだろうか。
遊びだろうがコミュニケーションだろうが区別せず仕事に変えてしまうくらいのエネルギーを見習うのがいいだろう。

昭和人の中でも大正生まれの祖母に育てられた私などは、常に意識していても平成人と同じようにはならないと感じる。
そんなことは今更書かなくても既にこのブログを見て頂いていれば、文才は無いとはいえその表現や言い回しで隠すことは出来ない。

それに比べ平成人のブログなどで文章表現を垣間見れば、「どうすればこんなに自由に表現ができるんだ」と感心する。
ブログだけでなく、ユーチューバーと言われる若い方の動画表現もマネすら出来ない。
ましてやインスタグラムと言った、あまり言葉を必要としないコミュニケーションツールだと思っていたアプリを、いつの間にかインスタグラマーなる仕事にしてしまっている強者まで現れているではないか。

この時代について行こうと思うのがそもそも間違っているのかも知れないが、もう少しもがいてみたい。
そのうち平成人も来年から始まる新しい時代に、もがきながらでもついて行かなくてはならなくなるだろう。
今からでも昭和人の最後の意地を見せることは出来ないだろうか。
「そんなことを言うところが典型的な昭和人だ」と言われそうだが、遊びも趣味もいつの間にか楽しみながら出来る仕事に変えてしまっている平成人を見ると羨ましくて仕方ない。