やってみなければ分からない

結果を気にすると何も始めることができない

60歳が過ぎて定年を迎え、最後の人生と言われる時期に突入した。
サラリーマンでない人は「死ぬまで現役」と、同じ仕事をやり通す方も多いが、会社勤めをしている人は雇用延長を含めても65歳で退社しなくてはならない人がほとんどではないだろうか。

退職後は好きな事をしながら勝手気ままに暮らしたいと願っていたが、実際そうなってみると好きな事すら長続きしないし、何をしても思うようにはいかないと思い知らされる。
ある程度は予測していたことではあるが、安易な考えの度合いを超えて反省をすることになる。

新しく始めることには調査などをして経過や結果を予測して準備をするほうではあるが、その予測はことごとく外れていくのだ。

先ず時間が出来たらしたいと思っていたことに、作曲やアレンジといった音楽に関わることをいつも思い描いていた。
若い頃も経験があることなので何の心配もしていなかったのに、実際やってみるとまったく思うように進まない。

頭が老化しているからなのか、それとも本当に好きな事ではなかったのかとまで思えてしまう。
40年も営業を経験しているから結果とか成果みたいなものをすぐに求めてしまうことが癖になっているのかも知れない。

作曲をしようにも2小節のフレーズさえ描けない。
まったく出てこない訳ではないが、せっかく出て来たフレーズも次の日になれば違和感を感じ、ゴミ箱行きになってしまう。

同じようなことがこのブログにも言える。
一行書いても少し時間を置けば消したくなるのだ。
決して自分に文才があると思っているわけではないのだが、公開する文章だと思うと消したくなるのだ。

このブログを始めた時は、定年退職に関する様々な心の葛藤を何かに残したいのと、退職後の楽しいライフスタイルを作るためのモチベーション維持に役立たせたいと思ったのが切っ掛けだった。

そのような考えなら完全に趣味のブログと割り切って、誰一人読んでもらえなくても、少しくらい文章がおかしくても何も気にすることはないはずなのだ。

それなのに、公開するのだから当然多くの人に読んでもらいたいと思い、読んでもらえるものだとも思っていたのだ。
その予測も大きく外れ、検索すらしてもらえなかったのだ。
多くの方に読んで頂ける前提だったので、いろんな考え方の人の受け止め方が気になったのだが、そんな心配は無用といってもいいくらいだった。

検索すらしてもらえないことに腰が折れようとした。

やってみて分かったことだが、好きな事も思うようにならなければストレスを伴うし、それで継続できないなら元々好きな事ではなかったのだろうと考えるようになった。

人生そんなに甘くはなく、思うようにはいかない。

焦らず期待せず、やりかけたことは継続すること。
継続はするが壁にぶち当たれば立ち止まることも必要だろう。
それでも前に進めないなら方向転換することも重要な決断だと考えたい。