楽しい老後を送れないのは貧乏だからではない

貧乏と自覚しているなら貧乏を楽しめ

貧乏とは生活に困窮するほどでもないが、財産や収入が少なくいわゆる金欠状態を表しているらしい。
逆に金持ちとは収入が多く金融資産や不動産なども多く持ち、俗にいう富裕層という人たちなのだそうだ。

貧乏でも人生を楽しめる

私がサラリーマンを定年退職してから今年(2020年3月末)で丸2年になるが、時間が過ぎ去る早さはどんどん加速しているように感じる。
定年退職してから自由に生きようと実践している私は今、貧乏から脱している訳ではないがサラリーマン時代のようなストレスはない。

サラリーマン現役当時のような「楽しくない」ということが一切ないので「楽しんでいる」と言いたいが、本音は「楽しむために心をコントロールして頑張っている」といったところだ。

多くのサラリーマンを引退したシニア層は自分を金持ちだとは思っていない。
その中には数千万円の金融資産を持っていても、金持ちだと自覚できずに質素倹約が身についていて思い切って楽しめない人も少なくないようだ。

しかし金持ちだからといって人生を楽しんでいるとは限らない。
高級ブランドの服を身にまとい高級車に乗って一流ホテルに泊まることができても、家族や人間関係、病気やお金のトラブルを抱えて悩んでいる人も少なくないのだ。
質素倹約してきたからお金が貯まり、お金を持っているからお金のトラブルも少なくないのかも知れない。

それなら貧乏だと自覚していてもトラブルなどストレスのない人生の方が楽しめそうだ。

楽しいという感情は今の瞬間心を動かすこと

楽しいと感じるのは「こんな事がしたい」とか「あれをしよう」と頭で考え心を動かしているときだ。
心が大きく動けば行動したくなり実践することもまた楽しいと感じる時だ。

これが仕事となれば、結果を求められ失敗は許されなかったから楽しいという感情よりストレスが勝っていたが今はそのストレスもない。
失敗やトラブルも自分の判断で許容範囲内に納めることができるからだ。

サラリーマンを引退したのなら楽しくない時間からは解放されているのだから、後は楽しい時間を多く作ればいいということだ。
ボーとしていることが楽しいと感じるならそれもいいだろうが、多くの場合はウキウキしたりドキドキするようなことを考えている時の方が楽しいと感じるものだ。

貧乏でも楽しめること

前置きが長くなったが貧乏だからこそ楽しめることも多くある。
私も貧乏を楽しみたいと、とにかく自分でできることは自分でやろうと考えている。

今までならお金を出して解決していたことも自分でやることで楽しめることが多くあることは分かっていた。
特に初めて経験することは楽しめることの宝庫だと感じている。
DIYや機械の修理、旅行の計画や部屋の模様替え、初めてアプリを使ってタクシーを呼んだり妻任せにしていた洋服を買いに行く。

このように何でもないことを自分でやろうとすることから始めれば楽しみは広がっていくに違いない。

この前も中古で買った車のヘッドライトが暗いと感じ、LEDのヘッドライトバルブを購入して自分で交換してみた。
サラリーマンの頃なら迷わずカー用品店かディーラーに車を持ち込み交換してもらっていただろうが、調べてみると「誰にでもできる」ということなので自分でやろうと考えたのだ。
実際にやってみるとそう簡単ではなかったものの、取り換えができた時には初めての経験ということもあり達成感も味わえ楽しむことができた。

おそらく車の仕事に携わっている人なら唯々邪魔臭いと感じる程度の作業だろうと想像できるが、やったことがない私にとっては不安や迷い、動揺や達成感など多くの感情を経験することになった。
カー用品店などに持ち込み交換してもらうことは簡単だが、そうすればこのような感情の動きは経験できなかっただろう。

交換を終えてから夜に確認のため運転してみると「なぜもっと早く交換しなかったのだろう」と思えるほど明るくなっていたのに再び感動できたが、次の日ライトスイッチをオートにすると昼間にも関わらずライトが点灯したままになるという不備が見つかった。

車の知識などまったくと言っていいほど持ち合わせていないので再びこのトラブルについてネットなどで調べてみたがこれといった解決策は見つからなかった。
最終的には車のキー(鍵)のボタン電池を取り換えた時点で直っていたので安心できたが、もともとこの症状が電池の消耗で起きたのかあるいは作業前にバッテリーのマイナス端子を外したのが原因だったのかは分からないままだ。

作業途中でゴム素材のブーツと言われる部品が癒着していて外れなかった時は不安が過ぎり諦めてディーラーに持ち込もうかと迷ったが、このトラブルの回避が更に達成した喜びを増幅させていた。

このように自慢するほどの作業ではないが、「何でも楽しむ」ということでは学ぶことに繋がったようだ。

頭で考え心を動かし体で実践するプロセスを楽しむ

貧乏を楽しもうと思うならお金で解決することを少しでも減らしていくのがお勧めなのだそうだが、「何かしたい」と思った時は先ず自分でできないかと考えて見ることにしている。
そして心を動かすために成功した楽しさを想像してみる。

失敗やトラブルは付き物だが許容範囲かどうか判断し、「何かをしたい」と思ってからやり遂げるまでの一連のプロセスを楽しみながら実践し、そんな楽しい経験を増やして行くことで徐々に自分に合った最後の人生の生き方が見つかるような気がしてならない。

とにかくやることは何であれ考えることもプロセスの途中を想像することも実践することも楽しくなくてはならない。
例え途中でトラブルに見舞われようがそれも含めて楽しむ勇気や想像力が必要だ。

貧乏という言葉にとらわれ何もせずに過ごす老後は楽しくないだろう。
持っているお金を上手に使いながら楽しむことこそ心豊かな老後に繋がるのであって、お金を持っていても使わないのならその価値はないに等しい。

貧乏という現実と心の葛藤

そもそもこのようなブログ記事を書いているのは、私が貧乏だと自覚していて将来の金銭的生活不安を捨てきれないからだ。
「定年退職してから楽しくないことはやりたくない」という思いから再就職はせず「やりたいことだけで生きて行こう」と実践しているのはいいがまだ何も掴んでいないので「この選択が間違っていない」と自身に言い聞かせているに過ぎない。
収入がないということでお金を使うことへの罪悪感が捨てきれないから貧乏を美徳化しているのかも知れない。

とは言え今更サラリーマン時代に感じたストレスの多い生活には戻りたくないのが本音だ。
豊かな心がお金では買えないことは分かっていても、貧乏という現実を楽しんで生きる術はまだ身についていない。

自由に楽しみながら生きることが簡単ではないということは分かっているが、今はただ心の底から楽しい生活だと本音で言える日が来ることを夢見る他ない。