老後不安にお金を優先すると人生を無駄にする

ネットで「老後不安」と検索すると、お金に関わるサイトがトップ順位を占めている。
貯蓄や年金、老後資金や質素倹約などの言葉が次々と押し寄せ、しまいには老後貧乏や下流老人と不安を煽っている。
確かに生活するのにお金は必要だということを否定はしないが、この辺でお金を中心にした人生からは足を洗ってみたらどうかと言いたいのだ。

私の場合も雇用延長を捨てて退職したのは、ある意味一旦お金のことは切り離して最後の人生を考えることにしたからだ。
誰も貯蓄の金額と幸せが比例していないことは分かっているはずなのに、人生の分岐点を迎えるとお金を優先して考えてしまう。
今している仕事が楽しくて仕方ない人や、仕事自体が生き甲斐になっている人は、その仕事を辞めてまで違う生き方をする必要はないだろうが、お金を稼ぐためだけに続けている仕事なら一度考え直してみるのも悪くはないだろう。

人生からお金を捨てると思いのほか気が楽になったように感じる。
お金を捨てるとはお金のことを第一に考えることをやめると言うことなのだが、お金がなければないなりに暮らせばいいし、それよりも毎日を意義深く生きる方が余程重要だと思えるようになってくるのだ。

昨年退職した当初は「これで良かったのだろうか?」「退職は間違っているのでは」と何度となく不安が過った。
その後も心は落ち着かず、あらゆる不安が通り過ぎていったが、最近少しずつ楽しみながら過ごす時間が勝るように変化している。
その変化は「頭からお金を捨てる」ことに一因していることは紛れないようだ。

ただ元々縁はないとはいえ、「お金のことは考えるな」とか「頭からお金は捨てる」といってもそれは決して容易なことではない。
「お金を捨てる」ということは今までの贅沢や欲望などを捨てることに等しい。
「自分への戒め」記事で「見栄や欲は人生の足かせになる」と書いたのはそこにある。
あれもこれもと欲は出さず「本当にしたいことだけに集中しろ」と言い聞かせているのだ。
「今まで続けてきたことや持っている物を捨てることに未練を残すな」ということにもなるだろう。

例えば車や、今でもよく誘われるゴルフは未練を残さず捨てていくものに入れなければならないだろう。
もはや趣味も趣味としてではなく、生活そのものになるようなものだけを残していかなければ思いが成せることは難しいのかも知れない。
このブログを書き始めた頃、腰痛克服目的で「趣味はゴルフではなくゴルフの練習」と書いているが、そうは言っても練習ばかりではなく月一ゴルファーとしてゴルフ場にも行って楽しんでいた。
しかし定年退職してからはゴルフより旅行を優先したいこともあり、ゴルフの練習をウォーキングに切り替えているのは、歩けなければ自分の思っている旅ができないからだ。

老後資金に不安を感じていたのは、これまでと同じ生活を送り、できることならたまにはおいしい料理を食べに温泉などへも行き、子どもや孫にも少しでも応援してやりたいといった欲望があったからだ。
それらをすべて捨て去ることは不可能にしても、最低でも自分の欲や見栄は捨てなければ思い描く人生は見えてもこないだろう。

「欲望にはきりがないからお金がいくらあっても不安が消えることはない」ということに気付くことこそが人生を変えることに求められる条件に思えてくる。
本当に欲しいものはお金や物ではないことは確かだ。
毎日を楽しく有意義に過ごせ、感動や喜び、感謝を体感しながら生きることこそが心豊かな人生に繋がるのだろうが、具体的には簡単に見えてこない。

一般的に人と違う生き方をすることになれば苦難を伴うことにもなるだろうが、足を踏み入れた以上否が応にも進まねばなるまい。
しかし60歳過ぎてから強い志しを胸に何か成し遂げてやろうといった大袈裟なことではなく、毎日コツコツと打ち込めるものがあればそれでいいと考えている。
最低限の生活ができるならそれ以上は求めず、お金を稼ぐための行為は打ち切ったとは言っても、無一文では生活もできないのでお金が尽きる頃までには何かしらの策は必要になるだろう。

とにかくその時まで、お金のことを優先して考えることはやめにした。