年金制度の未来に不安は?

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年金制度の未来永劫不滅神話が崩れる時!

サラリーマンの常識である年金制度は永遠に続くのだろうかと考えた時、おそらく誰も永遠に続くとは考えていなだろう。それでも自分が生きている間は大丈夫だろうと思っている人、もしくはそう思いたい人は多いはずだが、重要なのはいつまで続くかという予測だ。

日本の常識は不滅なのか?

今50代でサラリーマンをしている人は10年後の未来をどう予測しているのだろう。
特に中小企業に在籍している人は意外に悠長に構えている人が多いのではないだろうか。
私の周りで話しを聞いても「65歳まで継続雇用制度で働いてその歳になったらまた考えたい」とか「今勤めている会社の定年制度がなくなったから元気な内は会社に居続けたい」などと返事が返ってきた。

実際に地方の中小企業では少なからず65歳を過ぎた高齢者が役員待遇で会社に席を持っていたり、国もそれを奨励するような政策をとっていたりする。

そのような今の現状を見てみると、年金を遅らせたい国のメリットは理解することができても会社のメリットにはどうしても違和感を感じずにはいられない。

その違和感とは年代による考え方の差だ。
「会社に行っても仕事をやりずらいのでリモートワークは救いの神だ」とか「成果を上げても見返りが期待できないのでモチベーションを保てない」とは中小企業で働く若い世代の言い分だ。

年功序列が昭和に持てはやされた言葉だということを誰もが知っていると思っていたが、中小企業ではいまだにこだわっている会社も少なくないと聞く。
年功序列が何十年も前に終わった日本の常識だと思っていたのは、倒産などで転職を繰り返した私の勘違いだったのだろうか。

終わっているのは年功序列だけではない。
年功序列とセットで語られる終身雇用は今なお支持者も多く多くの企業で慣行されている。

30年賃金が上がらなかった理由は内部留保だけ?

「日本の労働賃金が上がらないのは内部留保だ」だとよく言われるが、それは時価総額の大きい企業の事情に他ならない。
時価総額も従業員も少ない中小企業の場合は内部留保する余裕もない会社はざらにある。

そこには他に原因があることを誰もが分かっていながら、日本の常識に捕らわれたが故の理由があるのではないか。


そのひとつの常識が終身雇用制度だったとしたら、いつまでもこのまま安泰という訳にはいかないだろう。
終身雇用制度を貫くと従業員の平均年齢は上がり人件費も上昇するが、それと反比例して下がっているのが労働生産性なのは言うまでもない。

企業側が65歳超雇用推進助成金や高年齢雇用継続給付金で終身雇用のデメリットを帳消しにしようとする理屈も健全ではない気がするが、終身雇用制度のデメリットがどれだけ大きくてもまだ多くの会社が支持するのは、それが日本の常識だからなのだろう。

噛み合わない制度が一気に崩壊する時期は?

経済に詳しくない私がこのような心配をするのは、特に中小企業の現役サラリーマンに危機感を持ってほしいというのは建て前で、社会的マイノリティの道連れを増やしたいのが本音なのかもしれない。

理由はさておきそのような若い世代の希望と噛み合わない社会制度が永遠に続くとは考えにくい。

考えてほしいのはその崩壊する時期が10年後なのかそれとも来年なのかということだ。
大地震で日本が一気に沈没する確立は低いだろうが、弱いところから亀裂が入り崩壊が加速することはあり得ない話ではない。

体力のない中小企業が崩壊し始めると国もそれを止める手立てもなく、嘘のように方向転換する可能性は低くないと言いたいだけだ。
これまでも弱い立場の人たちが社会から切り捨てられてきたように、古い体質の中小企業が弱体化しても民主主義的資本主義は救ってはくれない。

会社の中で若い世代が未来を心配してイノベーションを起こそうとしても、必ず障害になるのが経験豊富な世代なのだ。

「固定経費を削減するために可能な職種は全てリモートワークにしてリモート手当は成果報酬で賄いましょう」と提案する若者がいたとしてもパソコンが苦手な年齢の高い役員が反対して改革は失敗するというのが日本の常識なのだ。

そんな提案を通してしまうと会社で威厳をかましてマウントをとるという唯一の存在価値を奪われるからだ。

職種によってコロナ禍でも何とか会社を動かせたのは国の援助に頼ったからだが、それも今後は期待できない。
それどころかコロナ禍によって民主主義の自由と平等に不信感を感じた国民は多いだろう。

長いものに巻かれて生きる日本の常識がいつまで持ちこたえるかが鍵になりそうだ。

危ないのは日本の常識が変わる時

日本の常識とは日本人独特の雇用概念だ。
そんな古い雇用概念に未来がないことくらい若い世代はとっくに気付いている。
そして新しい雇用概念が見つかった時に一気に拡散されて古い日本の常識が終わりを告げる。
数年でスマホが普及したのと同じように、もう誰にも止めることはできないだろう。

コロナやロシアによるウクライナ侵略が油となって加速を煽っているが、このような日本の常識にとっての悪循環要素はこれからも増え続けると予測するのが順当だ。

年金生活の私ですら最近の不安材料はそこにある。
私が生きている間に年金制度が終わることはないのかという心配だ。

日本の年金は崩壊しないという不安を否定する考えには、高齢者を少しでも長く働かせるという条件が必要だ。
つまり就業者と非就業者の率を左右する定年退職年齢の支点を高い方に移すのが唯一の条件になっているのだ。

日本人は働くことに生き甲斐を見出すからといって、終身雇用や継続雇用制度の考え方がいかにも正論であるかのように常識的に語られることが怖いのだ。
それらの日本の常識は自民党によって長い間守られてきたと言えるかもしれないが、その実績が長いからこそ余計にそろそろやばいと思いたくなるのだろう。

大きな事故や事件が起こる時、現場にいる人は必ず何かしらの違和感を覚えるものだ。
安倍元首相襲撃事件も誰にも想像できなかった出来事で、一番の違和感が安心安全のはずの日本国内で起きてしまったという事実だ。

このような年金制度とはまったく関係ないと思われる事案でも、日本の政治の常識が崩れるトリガーになり得るのが今の時代の不安定さだ。

結局日本に激震が走って一番困るのは、私のような年金頼りの高齢者なのに間違いはなさそうだ。