運は人生の分岐点でリセットされる?

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人生の運の連鎖は煩わしい人間関係から生まれる?

運は偶然の産物で意図して生まれるものではないと考えるなら、この後を読むのは時間の無駄になるだろう。
私が運は偶然だと思いたくない理由は、その運が定年退職によってリセットされたように最近感じているからだ。

煩わしさを遠ざけた結果は?

サラリーマン時代の小さな運の連鎖の一番のファクターは人とのご縁だったが、定年退職でそれを投げうってからは迷い道の連続だった。
人とのご縁を捨てようと思って捨てた訳ではないが、人とのご縁が極端に薄くなったのは定年退職した者の一般的な結果だ。

ただ定年退職を少し早めたのには、煩わしい人間関係を早く断ち切りたいと思ったのも事実に変わりはない。

定年退職で煩わしい人間関係を断ち切ったと喜んでいたが、その陰では運まで完全にリセットされていたということだ。
そのことに気づいたというより何となく感じると言う方が的を得ているが、定年退職後の日常には嫌なことがない代わりに嬉しくなることもないと実感できるのがその証しだ。

そのようなことは定年退職してすぐ感じることではなく、時間と共に強くなる感情の一部に過ぎない。

実体のない運を掴むには?

運とは神様と同じではっきりとした実体がある訳ではないが、そのせいで簡単に拾えるものでないことは誰でも知っている。
小さな運の連鎖で人生が成り立っているということは以前にもこのブログで書いたが、それも人生が人によって繋がっているからに相違ない。

最近では大谷翔平選手がゴミを拾っている様子を見て「あれはゴミを拾っているのではなく運を拾っているんだ」などと解説されることが知られているが、ゴミを拾う大谷翔平選手を見た人の心が動き、それが運となってフィードバックされるという意味だ。

運が人と大きく関わっていることが何となく分かれば、人が嫌な思いをしない行動を心掛けるようになる。
例えば運転しているときも対向車に道を譲ったり、駐車場でも出来る限り高齢者や子ども連れにいい場所を譲る思いやりなどだ。

最近は譲ったことが分かった人から、サンキュー代わりの小さなお辞儀を頂くことが多くなった。
フェースブックやインスタ、ユーチューブを見ていいねをタップするのも、運のポイントを集めているような感覚だ。

逆にユーチューブの低評価をタップしないのは、投稿者の気持ちになれば運のポイントを捨てることになるからでもある。

運に実体がないからこそ、そのような日常の小さな行動にも意味を持たせなければならないと感じている。

運とツキの違いは人との関連があるかないか!

こんなことを考えるのはツキに恵まれていないと思っているからではなく、ツキに恵まれる方法もあれば知りたいと思うからだ。

しかしツキとはいったい何なのかという明確な概念はなさそうだが、運は長い時間の中での幸せ感で、ツキとはその時々の短い時間軸で起きるラッキー感なのだそうだ。

もうひとつの違いは人が関わるのが運で、人が関わらないのがツキなのではないかとも考えることができる。

先ほども書いたように対向車に道を譲った場合は相手の人に小さな運を与えたことになり、宝くじを大量購入したにも関わらずほとんど外れたといった場合はツキがないとなる。
宝くじの購入は人との関わりがないことからも運ではなくツキだと思うようにしたのだ。
宝くじを一枚も買わなければ宝くじが当たるというツキはゼロだが、一枚でも買うと後はツキ次第ということだ。

そのようなツキもまた、煩わしさから遠ざかると縁が薄くなるということは運と同じだ。
何かが当たる応募権利があったとしても、煩わしいからとその手続きをしなければ決して当たるというツキを手に入れることはできないということだ。

運の場合はというと、定年退職して人と関わることが減ったのなら僅かな関わりを大切にしてポイントを溜めていく以外運を呼ぶ方法はないということでもある。

リセットされた運とは

定年退職でリセットされた運とは人とのご縁から得るもので、ご縁が多ければ多いほど得られる運の数が多いと思っていいだろう。
しかし定年退職でそのほとんどを失くしたのだから、今はもうすれ違う一瞬のご縁をも見逃さないようにするしかないのだ。

それが車の譲り合いであったりSNS程度の関わりであって、昔のような人脈づくりの煩わしさを感じるほどのものでもない。
但しどれだけ小さな関わりであっても相手への思いやりは必須で、意識してエネルギーを使わなければ運には恵まれないと考えるべきだ。

サラリーマンは卒業したのだからもうそんなに人に気を使うことは御免だと言ってもいいのだろうが、まだこれから何かを始めたいとか生き甲斐になることを見つけたいと思うのなら運は必要だ。

定年退職は運をリセットすることだと感じるのは定年退職直後ではなくある程度年月が経ってからで、しかも何らかの形で仕事を継続している人には分からない感覚なのだ。
何故なら人との縁がまだ完全には切れていないからだ。

運を掴みずらい時代なのは

今は運を掴みにくい時代だと言える。
コロナで人とのご縁がこれまで以上に薄くなり、戦争などで多くの人の感情がダメージを受けネガティブ化しているからだ。

リモートなどで人と会う機会が減れば当然運も遠のくと考えるべきだ。
そのような時代に運を掴もうとするなら、これまで以上に敏感になって人の幸福を願う以外になさそうだ。

例えば若い方なら会社に出勤して色んな人と会うことで将来の伴侶を見つける可能性も高まるが、リモートではその可能性も少なくなりそれこそが運が減ると言うことでもある。

社内恋愛で結婚して産まれてくる自分の子供たちとの出会いは正に運の連鎖と言わずにはいられない。

私達は定年退職という人生の大きな分岐点と運の関係を考えるが、例えば就職や転職する人ならそれこそが運の分岐点だといいたいのだ。

無駄で煩わしいと思っている人との関係も、運をもたらす唯一の手段だと考えれば今の時代は最も運を掴みにくい時代に入ったと思わざるを得ない。

人と会う機会が少なくなった時代だからこそ、少ない機会を大切にしたいと思う今日この頃だ。

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