男女共存が定めのシニア人生

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シニアになるほど顕著に違う男女脳

男と女は違う星で生まれたと言う人がいるくらい、人生の感じ方に違いがあるようだ。
その違いが最も顕著に表れるのがシニアになってからだと言われている。

女性は直球で勝負し男性は変化球で様子をみる

そう言われればサラリーマンをしている頃も感じることは多かった。
とはいっても人それぞれ個性があるので、男だ女だからと決めつけることが正解だとは限らないと条件を付けなければならない。

あくまで私の周りで働いていた男女の違いだが、とにかく女性はハッキリとした言葉で表現することがほとんどで曖昧な言動や態度は男性にしか見ることができなかった。
特別そんな人が集まっていたのかも知れないが、外見からはおとなしそうに見える女性でさえその言葉はそつなく鋭かった。

男性はというと相対的に直球言語を投げる人は少なく、先ずは変化球で相手の様子を伺う人がほとんどだった。
言葉の数に違いは有れど私も含め上司部下を問わず感じる男女の違いだった。

人様のことを言うまでに自分を分析すれば、その最たる男の特性を知ることができる。
どこからか「それはお前だけだろう」と一笑に付されている声が聞こえてきそうだが、優柔不断の原点がそこにあるのかも知れないとさえ思えてくるくらいだ。

女性は若い頃デートに着ていく服が決められずに待ち合わせ時間に遅刻をしても、そんな優柔不断さは歳を重ねるごとに無くなって現実的な人間形成へと変わっていった。
しかし男性はいつまで経っても変化球しか投げることができない人が多いのも事実だ。

男はチンパンジーで女はゴリラ

映画「猿の惑星」に出てくるコーネリアスは頭のいい女性の猿ではあったが、体格差や見た目を除外すれば男性の方がチンパンジー的だ。
多くの男性が変化球で様子を伺うのは攻撃的な対人関係を避けたいからだ。
中には変化球どころか球を投げずに様子を伺う男性も少なくない。
言葉が少ないことを美徳とさえ感じている日本人男性も多い。

私の知る限り最初からガツンとくる重い直球を投げてくるのは大概女性で、どちらかと言えばゴリラ的と言っていい。
それも感情が注入された曲げようにも曲がらない直球は、受ける男性が狼狽えることすら稀ではない。

日本男児の懐の大きさは、このとてつもなく重い球を受け止めどう処理するかで包容力という言葉になって図られているようだ。

だが受け止めるのがいつも男性とは限らないからこの地球で共存できるのだ。
時には男性が投げた分かりずらい変化球を受け取る女性の方が、まるでゴリラのようにどっしりと腰が据わっていることはよくある光景だ。