60年と言う過去の時間と未来の時間

Sri Harsha GeraによるPixabayからの画像

60年など過ぎてしまえばあっという間の出来事

過ぎてしまえばあっけない程の時間に思えてしまうが決して短いと言える時間ではない。
時間と言う概念ほど不思議なものが他にあるだろうか。
例えば、締め切りが迫っているが、間に合うか分からない仕事量のある一時間と、予約時間より早く着いた病院の待合室で過ごす一時間だ。
とても同じ一時間とは思えないほどに感じる。

過ぎてしまった60年の時の中には、腹が立って眠れななかった時もあれば、やり場のない不安を抱えていた時もあり、楽しく過ごした時もある。
個人差はあれど、当たり前のように誰もがいろんな時を過ごす。

60歳
の人には皆60年の過去の人生があるのは常識だろうが、未来の人生の時間が同じではないことを意識しようとする人は少ない。
今元気であれば未来は永遠だとだれもが信じたいのだろう。

この60年もの時間、何をしていたんだろうと自問自答しても、ただ生活に追われ成り行きのまま過ごしてきたとしか言いようがない。
後何年あるか分からない人生も、同じように過ごして悔いは残らないだろうか。
考えるなら今しかないと思いたい。

何もせずに過ごす休日も貴重な人生なのでは

仕事で疲れた週の休日は何もせずに過ごすことが多い。
休みなのだから心身共リラックスして休むことができれば次の週の活力に繋がると思いたいが、なぜか何もせずダラダラと過ごした次の日は仕事に行きたくなくなり、返って忙しく家の用事をした時の方が次の日がスムーズだ。

60年も生きているのだからそんなことは何度も経験しているはずなのだが、「休日はダラダラ過ごしてもいい日だ」と未だに都合よく解釈している。
休みも大切な人生の内の一日だと考えればダラダラと無駄な日にしたくなくなるのだろうが、長年に渡って培った悪癖はなかなか治るものではない。

こんな事では毎日が休み状態の定年退職後が思いやられると言うものだ。
そのくらい限りある時間を大切にしないと、何もせずに10年くらい過ぎてしまいそうだ。

「気が付いたら何もせずに10年が過ぎていた」が心配

これまでの人生は仕事をしていたのだから休み以外はまずまず充実していたと言えるだろう。
しかし定年退職した後はどうだろう。
今から心配することではないだろうが、「気が付いたら10年が過ぎ70代になっていたが60代は何もせずに済んでしまった」と言ったことになるのが怖い。

未来の10年はまだまだ先の話しだが、過去の10年を考えると思っているほど長い時間ではないだろう。
過去の10年が健康で過ごせたからといって未来の10年も健康だとも限らない。

これからは大切な人生の一日を休みだからと粗末にせず、ダラダラではなく楽しい一日だったと言えるように変えていきたい。