60年と言う時間

淡路島の灘黒岩水仙郷

60年など過ぎてしまえばあっという間

過ぎてしまえばあっけない程の時間に思えてしまう。
時間と言う概念ほど不思議なものが他にあるだろうか。
例えば、締め切りが迫っているが、間に合うか分からない仕事量のある一時間と、予約時間より早く着いた病院の待合室で過ごす一時間だ。
とても同じ一時間とは思えないほどに感じる。

過ぎてしまった60年の時の中には、腹が立って眠れななかった時もあれば、やり場のない不安を抱えていた時もあり、楽しく過ごした時もある。
個人差はあれど、当たり前のように誰もがいろんな時を過ごす。
60歳の人には皆60年の過去の人生があるが、未来の人生の時間は同じではない。
今元気であれば、未来は永遠と錯覚してしまいそうだ。

この60年もの時間、何をしていたんだろうと自問自答しても、ただ生活に追われ成り行きのまま過ごしてきたとしか言いようがない。
後何年あるか分からない人生も、同じように過ごして悔いは残らないだろうか。
考えるなら今しかないと思いたい。

「今何してる?」

休みの日にフェイスブックを開くと「今なにしてる?」と問いかけてくる。
その度に「何もしてない」と独り言。
何もしてないのだから投稿もしないが、毎日のように投稿している人を見ると、アクティブな人生を送っているなと感心する。
退職したら「今なにしてる?」をいつも意識していないと何もしないまま時を過ごしてしまいそうだ。
そのくらい限りある時間を大切にしないと、何もせずに10年くらい過ぎてしまいそうだ。

変わる人生観

若い頃、無い物ねだりでイギリス的紳士に憧れたことがある。
テニスもできれば乗馬もできるしピアノも弾ける、みたいに何でもできることが格好良く思えたのだ。
しかし今は日本の職人さんのように一生をかけ同じことに取り組み、技術を磨いてきた人を格好良く思うようになった。

今更そのような人と同じようにはならないが、せめて残された最後の人生を格好良く締めくくりたい。
それに必要なのは、諦めない継続する力を見失わない事なのだろう。
このブログもそうありたい。

自分を奮い立たせるために書いているが、できることならほんの少しだけでも人様にいい意味で影響を与えるようなブログになれば幸せだ。
それが最後の生きた証しとなれば最高の締めくくりとなるのだが。