病院の待ち時間を無駄にしない

病院の待ち時間を利用して姿勢を矯正

一日の時間を有効に使い意義深い過ごし方をしようと心掛けているが、これがなかなか難しく中身のない時間だけが過ぎていく事も多くある。
例えば2週間に一度行く耳鼻咽喉科で1時間以上の待ち時間の過ごし方を、ただ順番を待っているだけの時間にしてしまうと長く辛い時間でしかなく、「次は私の番だろう」と期待しているのに別の人が呼ばれれば落胆することになる。
そこで行く前から2時間近く待つことになる事を前提に「今日の待ち時間を過ごすテーマ」を決めることにした。


行きつけの耳鼻咽喉科専門の小さな病院では待合室もそんなに広くはなく、いつも多くの患者が通院しているので座って待つことも難しいことがある。
座って待っていても自分よりご高齢の方が来られれば席を譲ることになるので、それなら最初から立って待つことにしようと考えた。
どうせ長い時間立つことになるのだから、その日は「姿勢」をテーマに立ってみようと考えたのだ。

若い頃から姿勢などには無頓着に過ごしてきた結果、自分では真っすぐ立っているはずが右肩が下がっていたり、腰が右にずれていたりする。
たまに家族から指摘を受け、鏡を通して客観的に確認するまで自覚することは出来ないでいた。

「姿勢」をテーマに待つことを決めていた日、黒いズボンと黒い細目のスウェットシャツを着て行くことにした。
その理由は待合室に、床近くから天井までの透明ガラスのスリット窓があり、鏡代わりにできることで、黒が見やすいことや、人目を意識する意味に於いても黒がスマートに見えるだろうと判断したからだ。

受付を済ませ、そのスリット窓に向かって外を眺めているような振りをしながら、映し出された自分の姿勢を直していった。
右肩を少し上げ、腰を少し左に振ってみる。
足は敢えて開かずに腹筋を使いお腹を凹ませて顎を引いてみた。
そのまま90度右を向けば、お腹を凹ませた効果からか、「60歳を過ぎている年齢を考えてもまだ捨てたものでもないと思える」などと自惚れていた。

その時、近くの待合ベンチに座っていた若い女性が「どうぞお座り下さい」と手招きして席を立ったのを切っ掛けに我に返り、やはりこの若い女性から見れば父親くらいの60代の初老の男性を長く立たせておくことに気が引けたのだろうと感じながらも「ありがとうございます」とだけ言葉を返した。
その女性は直ぐに受付に行き清算を終えて帰られたが、優しく声を掛けられただけでも嬉しく感じた。

長い時間「姿勢」だけを意識しながら背筋を伸ばして立っていると、他の人にはこの姿がどう見えるのだろうと気になり始めた。
おそらく誰もそんな事を気にする人はいないのだろうが、勝手に自分の姿が不自然ではないだろうかと思えてくるのだ。
最初から人目も気にして服の色まで選んだとは言え、変人に見られることは望んでいない。
先ほど帰られた女性の席が空いているのに座ろうとはしないのは、何か理由があるからと思われているだろと考えていると、そこへ杖を突いたご老人が私の顔を覗いて、「座ってもいいですか」と小さい声で尋ねられたので「どうぞお座り下さい」と促すと「ありがとうございます」と言って笑顔で答えられたのだ。

先ほどの女性とは全く逆の受け答えではあったが、今日2回目の心が安らぐやり取りをすることが出来た。
待合いベンチに座って「遅いなあ」と辛いだけの時間を過ごしている事を考えると、心も潤い体幹も鍛えられたので、こんな意義深い時間を過ごせたことにこの病院に感謝したいくらいだった。
この姿勢のまま1時間を過ぎてくると、立っている事自体がきつくなって自分の体幹の弱さも自覚することができた。

この病院で受診する切っ掛けになったのは、アレルギー性鼻炎による鼻詰まりが理由で、その鼻詰まりの度合いは、両方の鼻の穴から酸素を取り入れることがまったく出来ず、口だけに頼ることが死への恐怖を感じるほど悲惨な状況だったことだ。

そういった時は何事も悲観的に考えてしまうが、受診後は嘘のように回復し、その喜びと相まって自分の体幹を鍛えればこのような事態も予防することが出来るだろうと、前向きに考える事へも繋がったのだ。

健康なことが如何に幸せなことなのかを実感し、病院の待合時間も少し考えればこんなに幸せな時間に変えられることを知ることになった。

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