日本一周のシニアの夢は夢のままが賢明!

日本一周にこだわることなかれ

生涯サラリーマンで人生を送った方々が最後の夢を語る時「日本一周が夢」と言う人は少なくない。
しかしそれは夢に描いたほど美しいものでも、わくわくするほど心を振るわすものでもないことが分かってきた。

私だけが感じているのではない日本の旅の違和感

私が車中泊で旅を始めてもう一年半になろうとするが、日本一周をしたわけでも全国を隈なく廻った訳でもない。
長くても三泊で多くは一泊か二泊の短い旅を繰り返しているだけの話だが、それでも多くのことを知ることができ学ぶことも多かった。

それなのになぜタイトルのようなことを敢えて言いたいのか不思議に思われる方もいらっしゃることだろう。
それは冒頭でも書いた通り夢に描いた旅とは想像以上に隔たりが大きそうだからだ。

日本一周はロマンでもありひと昔前は男の夢でもあった。
以前は実際に日本一周をやってのける人も少なく、多くの男性が夢に描いていたものだ。
しかし今は日本一周を経験する人も少なくない。

単車で日本一周をする人もいれば車で廻っている人もいる。
もちろんバスや列車で国内を廻っている人もいればテントを持って自転車で日本一周をしている人もいるはずだ。

この前そんな日本一周をした人の動画がたまたまお勧めに出てきたので見てみた。
「日本一周をおすすめしない理由」というYouTube動画だったが、旅のやりかたは違えど非常に共感できる内容だった。

その人は「日本一周は99%の移動が無価値で得るものはほとんど無い」と言っていたが、「いやそれは少し言い過ぎでは」と思う一方で私が考える旅の違和感をズバリ指摘した言葉でもあった。

私の違和感とは旅をする前に考えていた夢のようなロマンや感動にはそうそう簡単に巡り合わないということだ。

日本で偶然の絶景に出合う確立は1%未満

YouTubeで旅動画を見ていると、美しい夕日や鏡のような水面に映る美しい自然を見ることも多い。
そんな動画を見れば「こんな景色に出合えるなら旅をしてみたい」と誰もが思うだろうが、それらはその旅人が偶然に出合った景色でないことは明らかだ。

私も旅を動画で公開しているので分かることだが、その絶景に出合うためには綿密な計画を立て天候も考慮した上で出向いた賜物なのだ。
当然天気予報に裏切られることも少なくないがそれだけではない。

何百キロも移動して写真や動画を撮影することになるが、カメラの知識や撮影技術で現実以上に美しい動画に仕上げることも少なくない。
私の未熟なカメラ知識ですらそんな風に感じながら編集することもあるくらいなのだから、プロに近いカメラ技術を持った人ならそれも容易なことだろう。

要は動画や写真で見るほどの感動を現場で体験することの難しさを言いたいのだ。
私が考える絶景とは日常では見ることのできない美しい景色だ。
山間地域に住んでいるため、例えば海や湖に沈む夕日やそこから登る日の出は非日常の絶景そのものだ。

そんな夕日や朝日の絶景を見るには、日の出や日没の時間、太陽の方角、天候などを調べるだけでなく、車を止めて見える場所を毎回マップで探すことになる。
海岸に行けばどこでも夕日や朝日が見える訳ではなく、ほんの少しの場所に限定されてしまうことは想像を遥かに超えていたほどだ。
その場所を特定するためだけに一時間以上も費やしてリサーチすることは珍しくない。

日の出や夕日だけでなく星空や鏡のような水面も、天候や風などの自然環境が整ったほんの一瞬しか出合うことができないということだ。
ウユニ塩湖のような絶景写真が撮れることで有名な香川県の父母ヶ浜でも、干潮時の夕暮れで風がないという条件付きだ。

干潮時というだけでも日程は限定されるが、海岸で風のない日など余程運に恵まれていないとその場に立ち会えない。
私が行った二度共強い風でその絶景を見ることができなかったが、ましてや日本一周の途中でそんな偶然に出合えるとは到底思えない。

日本一周旅で非日常を感じたいなら日常の行動では無理

ホテルや旅館に宿泊していては非日常を感じることは難しい。
もちろん普段は食べることができない料理や絶景を売りにした露天風呂などもあるから一概には言えないが、日本一周となると毎日そんな宿を探すこと自体に無理がある。

先ほども書いた日の出や夕日も冬の時期なら丁度朝食時や夕食時と重なるから、宿の中で食事をしていたのであれば見ることも逃してしまいそうだ。
美しい冬の星空も旅館の浴衣を着て冷たい風に震えながら見ることになる。

言い換えれば私のような車中泊旅だからこそ見ることができる絶景も少なくないのだ。

その代償はまだ誰もが寝ている時間に起きて移動したり、誰もいない山奥で不安を伴いながら寝ることも厭わないことだ。
つまり日常ではやらない行動を伴って得られるのが非日常だということだ。

特に人生経験の豊富な年代の人が、普通のホテルや旅館に宿泊しながら日本一周をしたからといって得られる感動は無いに等しい。

それなら夢に見た日本一周ではなく、ホテルや旅館に泊まって料理や酒に酔いしれる旅行の方が遥かに意義深いと言えそうだ。
旅行と旅の違いは住んでいる所から出て安全安心な日常を送るか、非日常を追い求めて不安や不便に立ち向かうかの差だと言えるだろう。

日本一周で心に残る旅の価値を得るのは難しい

例えば海外でひとり旅をした場合は行くとこやること見ること全てが初体験であり、文化の違いは人と接する度に感じることができる。
その体験全てが自分の価値観を揺るがし心を揺さぶる経験として脳裏に積み重なっていく。

しかし日本国内では北海道から沖縄までどこへ行っても言葉は通じ、多少の違いはあれど景色や文化も似ていて当然だ。
そのため翌日の行動から五感を通して感じることまでほとんど予測できることばかりだと言えるだろう。

もちろんそんな日本の旅ではトラブルも少なく、困って他人に助けを求めることもほとんど無い。
スマホひとつで道に迷うこともなければ食堂のメニューを見て注文の仕方が分からないことなど決してない。

ところが海外ひとり旅では小さなトラブルは日常茶飯事だ。
空港でのちょっとしたトラブルや見知らぬ土地での移動トラブルなどは結局近くにいる人に身ぶり手ぶりで助けを求めることになるが、その経験そのものが価値に繋がり心に深く残ることになる。

日本一周にこだわることなかれ

私は車中泊旅を始めた頃からこの海外の旅とは違う違和感を感じていた。
結局のところ旅に求める感情はウキウキ感やドキドキ感などの心地いい緊張感であって、安心安全で日常的な感情ではないということだ。

日本一周の旅も夫婦で行けばまた違った感情に触れることができるのかも知れないが、夫婦とは言え何日も同じ価値観を共有することが難しいと思うのは私だけだろうか。

シニアの人の中には「死ぬまでに日本中を見ておきたい」という思いで日本一周の旅を夢見る人もいるが、その目的なら慌てることなく何度にも分けて旅する方が遥かに見るところも増えるのは言うまでもない。

一度に廻ろうとするとどうしても行けない場所や飛ばしてしまう観光地も多くなるが、スポットで巡ると木目細かく取りこぼしも少なくなる。
日本一周をしたと言う人に「○○はどうでした?」と聞いても「そこは行ってないよ」とか「行ったけど長くは居なかったから」と返事がくるのもうなずける。

決して日本一周の旅をけなしているのではなく、日本を一周するというロマンや夢だけの目的で巡ることをどうかと思っているだけだ。

日本一周の夢は夢のままで置いておく方が賢明な気がしてならない。