定年退職した人におすすめの貧乏一人旅

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シニアにお勧めの貧乏一人旅

この春サラリーマンを定年退職し、長い年月を家族や子どもへの責任を果たすために働いてきた人には心から「ご苦労様でした」と労いの言葉を手向けたい。
これからの第二の人生は、是非とも自分のために時間を使って頂きたいと願うばかりだ。

年齢にもよるが定年退職したら先ず失業保険や厚生年金の受給申請をしたり、ついに縛られていた時間管理から解放されてゆっくり過ごすのことが何よりの贅沢だと感じているはずだ。

しかしこのブログでも何度も書いているように、そんな幸せな贅沢と感じる解放感は長くは続かない。
三か月もしないうちに、解放感に満ち溢れていた贅沢な時間も苦痛に変わってくることを思い知ることになるだろうが、そうならないために第二の人生をどう生きるのか考え、計画を立てておくことが必要になる。

そこでお勧めしたいのが、最後の人生をどう生きるのがいいのか考える旅に出ることだ。
「旅は人生の道標」の言葉通り、人生のことを深く考えるチャンスになると思うからだが、そんな「人生を考える旅」をするなら是非自分でルールを作ってほしいのだ。

「人生を考える旅」のルール

・極力お金を使わない
お金を使って贅沢な旅行をすれば、不安や困りごともなく人の助けも不要になるが、その代わり人の優しさに触れることもなくコミュニケーションも生まれない。
要はお金以外の価値を探すことを、第一の目的とした旅にしてほしいのだ。
若い時はお金で何でも手に入ると勘違いして過ごしたが、60歳も過ぎる頃にはお金では買えない大切なものが多く存在することが分かってくる。
高級なホテルに泊まって豪華な食事をし、タクシーで移動しても何も残らないことを分かってほしいのだ。

・一人旅が基本
同じような待遇の人と旅をするのも悪くはないが、やはり一人旅に拘る方が考える時間に恵まれるだろう。
旅行に関して言えばいくら友人であろうが家族であろうが、旅の価値観が同じということは絶対にない。
行きたいところも違えば食べたい物や買いたい物も、体験したい事も違って当たり前なのだ。
一人旅が喋る人もなく寂しいというのは間違いで、道を聞いたり食事で隣り合わせた人と会話が弾む事もあるが、積極的に話しかければ寂しいと感じることはなくなるだろう。

・計画は全て自分で立てる
もちろん行程の決まったツアーなどは目的にそぐわない。
できる限り自分で飛行機や宿を予約したほうが後々の自信にも繋がってくるだろう。
目的が人生を見直すことにあるなら、まったく知らない土地で違った環境に身を置いて見るのもいいのではないだろうか。
自分で計画すれば、物事が計画通り運ばないことや予測していなかった多くのことを体験することができる。

・行き先は初めて行く海外が相応しい。
言葉も不自由で頼る人や相談する人も側にいない方が意義深い経験に繋がると思えるからだが、文化も違えば考え方やルールも異なるので自分の常識が当てはまらなくなる。
そんな異文化の地では心地よい緊張感や刺激を味わうことができ、今までにない経験を多くすることができるだろう。

退職すれば捨てなければならないことが多い

60歳も過ぎて会社ではそこそこの地位で働いていた人や、退職金もそれなりに満足できるほど貰った人ほどこのような旅をしてほしい。
会社では部下に指示するだけで出来ていたことや、お金を出せば解決していたことが退職すれば出来なくなることが多くなる。
人脈もなくなり部下や同僚に頼ることも出来なくなるが、今まで当たり前のように話しかけられたり、コミュニケーションをとっていたことまでもが、自分の周りから消えてなくなるのだ。

60歳も過ぎてから何故、「一人で貧乏旅行など」と思われるだろうが、見ず知らずでしかも言葉も通じない人に積極的にコミュニケーションをとることで、自分の力のなさを自覚できたり、家族や友人の有難味を再確認することができる。
そして他人の優しさに触れることができれば、それが自分の優しさを増幅させる力となってフィードバックさせることに繋がるだろう。

地位やお金ではなく、唯の人と人としてコミュニケーションがとれれば、その経験が今後の人生の糧になることは間違いない。

貧乏一人旅の価値

一度このような貧乏一人旅を経験すると忘れることができなくなるが、その旅で知ることは人の心の価値や時間の価値、自分の力の無さやコミュニケーション能力などであったりする。
お金では買えない経験がしたいなら貧乏一人旅に限るだろう。
その経験が今までサラリーマンで培った価値観を変え、新しい価値観を作り出すが、その新しい価値観こそが今からの人生の支えとなってくれると信じている。

最後の人生には迷い道が多い
サラリーマンを定年退職すれば、今までのような一本道ではなくなると気付くことになるが、今までとは違い分かれ道で立ち止まったり迷ったりすることも多くなる。
そんな時にこそ貧乏一人旅をしたいと考えるのだ。

このような記事を書いている私も今、立ち止まって迷っている。
道に迷って立ち止まっている時は、モチベーションも下がり、目の前にある道には不安ばかりが目に入るものだ。
目の前にある道に足を踏み入れるには切っ掛けや勇気が必要だが、貧乏一人旅がその切っ掛けになると思えてならない。
結局貧乏一人旅をしなければならないのは、今現在先の見えない分かれ道で立ち止まって迷っている私自身なのだろう。