戒め日記が人生を変える
ポジティブな戒め日記は、時に自分を救ってくれることもある。
自分が自分に救われる日記を書くとはどういうことなのか。
人生経験の長い人ほど日記に魂を込めることができると言えそうだ。
戒め日記の条件
毎日日記を書いている人は芯の強い真面目な人に違いないが、何年も継続できるというだけでも尊敬に値する。
日々の出来事や感想を書き残すのが通常の日記なのだろうが、その目的は行動や感情の記録だ。
日記の目的は人それぞれだろうが、日記の価値も人によって大きく異なるようだ。
ただ毎日書いているだけで一度すら過去の日記を読み返したことがない人もいれば、アイデアや感情を書き残すことによって将来役立てている人も多いそうだ。
日記は毎日書くことがひとつの定義になっているが、ここで推奨する戒め日記は毎日書かなくてもいい日記だ。
毎日書かない日記は日記ではないと言われそうだが、私のような三日坊主には毎日書くという条件だけで始める動機すら失くしてしまう。
そしてもうひとつの条件は文字数にこだわらないことだ。
書くことがない日は書かなくてもいいし、書きたいことが一言だけの時は10文字以下でも問題はない。
ただひとつの条件は未来の自分に読んでほしいと思える文章であることだけだ。
だから思い出したくもないようなネガティブな出来事や感情は書いてはいけない。
例えばその日に耳にした気になる一言だけを書いてもいいし、心に残る俳句を記録してもいい。
知らない言葉がテレビから聞こえたならその言葉を書き、調べて意味も書いておくのも悪くはない。
「何のために」「誰のために」と言えば自分のためだ。
自分の記憶の引き出しの中に入れておくためと言った方がいいだろう。
ただこれも何でもかんでも詰め込んでおけばいいと言うものでもない。
心に響いた言葉や何かを感じた言葉だけだ。
そして未来の自分を勇気づけるための言葉を忘れないことだ。
言うなればポジティブな自分を取り戻すためのタイムカプセルだ。
ポジティブに戒める理由は未来の自分を救いたいから
戒めと聞けばネガティブなイメージしか想像できないのではないだろうか。
戒めの意味が過ちとか注意、用心などの言葉から連想するからだ。
しかし戒めとは元々ポジティブな要素から成り立っている言葉だ。
戒めとは未来に過ちを犯さないために知らしめることなので、将来の成功を予見する意味に於いて人生を幸せにする重要な要素だと言える。
私が書いているこのブログも、ほとんどは自分への戒めのためのブログだ。
つまり私の場合はこのブログが戒め日記の代用だと言ってもいいほどだ。
私が日記を勧める理由は、シニア世代でブログを書いている人は少数派でも日記を書いている人は結構いらっしゃると聞くからだ。
私事で申し訳ないが過去に何度戒めておいてもまた同じ過ちを犯してしまうことがある。
そのたびに過去に自分が書いたブログを読み返しては心を改めているのだ。
特に助けられたと感じるのは自分を分析して戒めた心の弱さや悪癖に関する文章だ。
心が弱っている時やモチベーションが下がってしまった時などに過去の自分が書いた文章を読み返してみると、まるで予言者が書いたような内容に驚くことがある。
それもそのはずだ。
自分のことを一番よく分かっている本人が将来のために自分の弱さを戒めて書いたものだからだ。
近い将来挫けるのを分かっていて戒めるのと同時に励ましているのだ。
文頭で書いたように私が三日坊主なのは今に始まったことではないが、その戒めと励ましを表したのが「毎日書かなくてもいい」とか「文字数は少なくてもいい」という条件だ。
三日坊主の悪癖を回避するためではあるが、その裏にもうひとつの戒めが含まれている。
それは何かを始める時に、できもしないのに目標を高くしたり何かで得た知識を鵜呑みにして先入観にしてしまう悪癖を持っていることだ。
例えば今日から日記を書くと決めたとすると、毎日書くから日記なのだと思い込んで守ろうとしたり、せっかく書くのだから1000字以上は書き残そうなどと出来もしない目標を定めてしまうことなどだ。
もちろん結果は分かり切っているが必ずどこかで挫けることも予測済みだ。
挫けた時に読んでほしい自分に向けてのメッセージが戒め日記なのだ。
日記に埋め込む未来の言葉
その日の出来事や感情を記録するのが日記だとすると、私の勧める戒め日記は未来を予言することから始めてほしい。
普通なら日記に将来起きるかもしれないネガティブな事柄を予測して書いたりはしないだろうが、現実には人生山あり谷ありで自分にとって辛い時期も必ず訪れる。
そんな時に再び這い上がる切っ掛けを日記に埋め込んでおくためだ。
例えば私なら「時間をかけてやったことは結果がでなくても無駄にはならない」と日記に書く。
それはなかなか結果が出ないことで継続することを諦めてしまうことが度々あるからだ。
その言葉に付け加えるなら「結果が出なかったことでもその中には必ず次のヒントが隠れている」とか「一度休んでみれば意外なところに光が見えてくるものだ」などと書いておく。
もしくは「まだ終わったわけではない、継続の道は必ず見つかるだろう」と書いてもいい。
このような言葉は私の三日坊主を予測して未来の諦めかけた時のために残すものだが、挫けて諦める予測はネガティブでも残す言葉はポジティブでないと救われない。
戒め日記を書く時と読み返す時
自分の将来を見越して戒めるとするなら気持ちが上を向いている時の方が有効だ。
ポジティブな考えができるのは落ち込んでいない証しだが、本当に落ち込んでいる時はポジティブにはなれないものだ。
そしてこの世の中で一番信用できるのが自分だということも忘れてはならない。
絶対嘘をつけないのも裏切ることができないのも自分だ。
だから自分の言ったことを信じることができるのだ。
日記で戒めるのはあくまでポジティブ思考の自分であり、それを将来読んで勇気付けられるのはネガティブ思考になった時の自分だ。
毎日書く通常の日常日記はポジティブ思考の時よりも落ち込んだ時や嫌なことがあった時の方が筆が進み言葉数も多くなる。
そのせいで日記を読み返しても暗い文章ばかりだと感じる人は多いようだ。
それは怒った時や悲しい時、悔しい時の方が、平穏な時よりも感情が高ぶるのが原因だ。
しかし感情が高ぶった時はもちろん冷静とは言えず、優しさや温かい感情からは遠ざかっているのでポジティブにはなれない。
落ち込んだ時にそのような日記を読み返したところで励ましにはならないと言うことだ。
落ち込んで何もやる気が起きず投げやりになった時は藁にもすがりたい思いのはずだ。
ポジティブな時に書いた日記は数百本の藁にも相当するだろう。
忘れていた感情を思い出し「確かにそうだ、まだ諦めるには早い」とか「この言葉を信じて前を向くしかない」などと考えを改める切っ掛けになればそれでいいのだ。