楽しいと感じる老後の夫婦関係の秘訣

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年齢と共に夫婦の距離を開けなければならない理由とは?

昨今「家に帰りたくない」とか「家にいると落ち着かない」と感じている男性が増えている。

「旦那がいないと落ち着く」とか「亭主はとにかく外で働いていてほしい」などと本心から感じている女性もまた増えているのだそうだ。

働き方改革で残業がなくなり定時で旦那が帰ってくるようになったのが原因のひとつだが、コロナのせいでリモートワークが増えたのも追い打ちを掛けている。

何でもないひとことが離婚の原因

夫婦の時間が増えれば当然夫婦間の言葉の遣り取りも増えるはずだ。
夫婦の会話ではなく言葉の遣り取りと敢えて書いたのには理由がある。
夫婦の会話とはダイニングテーブルなどに座って向かい合って共通の話題を話し合うことだが、ここでいう言葉の遣り取りとはただ伝えたいことを相手が聞こえる声で投げかける言葉のことだ。


旦那がパソコンで仕事をしていようがテレビに夢中になっていようが関係なく「窓閉めて!」「電話に出て!」「風呂掃除しといて!」などと一方的に命令口調で指図されると「うざ!」といった感情が湧き上がり取り敢えず聞こえなかった振りでもしておこうとなる。

言葉を投げかけた奥様にしてみれば「そのくらいのことになぜ協力してくれないの」という腹立たしい感情が増幅されることになっていくのだ。
売り言葉に買い言葉の負の悪循環はこのひとことから始まっていく。

夫婦間がギクシャクする最初の原因のほとんどがこのようなたわいもない言葉の遣り取りなのを知っておくべきなのだ。

その時の「うざっ」っという小さな負の感情が積もってくると段々と相手への攻撃的な言葉が増えていくことになるが、それは思いやりといった感情からはかけ離れたものだ。

時代の変化は夫婦間にも影響を!

昔は残業などして遅く帰ってくる男ほど良く仕事をする人と相場は決まっていた。
遅く帰る理由が例え酒を飲んでいただけとしても、それを仕事の延長のような理由付けをして正当化していたのだ。

それが今はどうだろう。
定時で仕事が終わらない人は、集中して仕事が出来ない人とか効率の悪い仕事しか出来ない人などとレッテルを貼られる時代だ。
会社も「残業せずに早く帰ってくれ」と言うのだから、我々シニアから言わせれば羨ましい限りだ。

私たちが若い頃は仕事があろうがなかろうが課長や部長が帰るまでは自ら「帰ります」と言えない時代を過ごしたからだ。

そのような時代が遠に過ぎ去ったのは言うまでもないが、いまだにそのような時代の流れについていけずに戸惑ったり、肩身の狭い思いを解消出来ずに苦しんでいる人は多いようだ。

時代が変わったのを受け入れたくないのか、それとも気付いていてもどうしようもなく惰性で生活しているのかは別にして夫婦間コミュニケーションのあり方も時代と共に変わってきていることは周知の事実だ。

夫婦の時間は増えても問題が増すばかり

兎角昭和時代に生まれた男性に口下手で不器用な人が多いと感じるのは私だけではないだろう。
言いたいことがあっても言葉で表現することに不慣れで誤解を招きやすい。
そういう私も夫婦の会話が食い違うことなど日常茶飯事だ。
その些細な会話の食い違いが離婚を招くような夫婦喧嘩の原因にもなり兼ねないのだ。

言葉数を減らし省エネ言語で会話を成り立たせようとしている訳ではないが、「お互いに何十年も一緒にいるのだから多くは言わなくても気持ちを汲み取ってくれよ」と言いたいのだ。
そして年齢を重ねるほど耳も遠くなり滑舌も悪くなるのだから伝わらない要素は増すばかりだ。

しかも定年退職でもすれば夫婦が一緒にいる時間は急増するが、何も考えずにそんな夫婦水入らず生活に突入すると不都合だけが際立ってくる。
そんな風に考えると、今一番離婚リスクが高まっている年代が定年退職を迎えている昭和生まれなのではないだろうか。

時代が変われば夫婦間の理解も変わる

「女房の愚痴も若い時なら耳を傾けたが今になっては聞くに堪えない」とか「何もせずに家にいる旦那は粗大ごみよりたちが悪い」といった言葉に共感を得たなら気を付けた方がいい。
長年連れ添った夫婦であっても、同じ空間で過ごす時間が長くなるほど思いやりが必要になるからだ。

その思いやりも気持ちだけでは役に立たないと思っていた方がいいだろう。
こんな時代だからこそ自分を変えていかなければならないし、夫婦間の言葉もよく考えた上で思いやらなければならない。


「俺が不器用な人間なのは今に始まったことではない」「結婚した時に関白宣言したはずだ」「この家はこれまで俺が支えて来た」などといったことが強引にでも奥様に受け入れられていた時代はもう遠の昔に過ぎ去っているのだ。

ほんの少し言葉を追加するだけでいい

何十年も同じ屋根の下で暮らしているとお互い気を使わなくなるだけではなく相手への配慮も無くしてしまうが、気まずい空気のほとんどは配慮のない言葉から始まるのはこれまで書いてきた通りだ。

それでは「相手に配慮した言葉とは何だ」と言われてもそんなものに定義などあるはずもないが、夫婦のどちらか一方だけが改めることでないことは明らかだ。

「風呂掃除しといて!」よりも「おねがい、風呂掃除助けて」と少し言葉を追加するだけで相手の心を動かす力は何倍も高まる。
この言葉を聞いた旦那も内心は「今仕事中なのが見て分かるだろう」と思っていてもまさか聞かぬ振りでごまかすことはできなくなる。

お願いまでされれば仕方ないかと心が動き「この仕事が終わってからでもいいか?」となり、頼んだ方は「ありがとう」と返すことができれば完璧だ。
長年連れ添ったとはいえ円滑な夫婦のコミュニケーションを保とうとするなら、邪魔臭がらずにこの位の言葉数は最低限必要になるだろう。

無口で言葉数を増やすことなど苦手だという男性も多いが、その性分を補うことができるのは行動だけだ。
「風呂掃除しといて!」と聞いた時点かまたは聞くまでに行動し、相手が期待している以上の掃除をすることができるのなら返事の言葉はなくてもいいだろう。
それができないのなら「了解!後でやっておくから」程度の言葉は必要だ。
了解と加えただけでも頼んだ相手にしてみれば気持ちのいいものである。

ほんの少し言葉を追加する意識を心掛けておくだけで夫婦間の情緒は安定し、家が一番落ち着く場所になって生活も楽しくなるのだ。

夫婦間の絶妙な距離

一番下のこどもが高校を卒業する頃になると夫婦の共通会話も終了すると言う人がいる。
夫婦間で子育てに関わる共通の会話がなくなることをいい方に考えれば自分たちの自由な時間が増えたとも取れるが、正に夫婦を繋ぎ止める鎹(かすがい)が外れたとも取れなくはない。

勿論一概に言えることではないが、夫婦の会話は減るのに夫婦の時間が増えるところに問題があるようだ。

因みに私が定年退職前に母屋と同じ敷地内にある納屋を改修して居場所を作ったのも、言い換えれば逃げ場所を作ったのに等しい。
今家にいる時のほとんどをその納屋に逃げていることで、うまく夫婦の距離が保てていると言える。
いわゆる敷地内別居だが母屋に戻って妻と顔を合わせるのは食事と風呂の時くらいだ。
そうかと言って仲が悪いことも話したくないと言ったこともなく、お互いを干渉しない暗黙のルールによって絶妙の距離を保てているのだ。

それに加え私は月に何度か車中泊の旅に出かけるが、その時妻は食事の準備も免れることでいつも以上にゆっくりできると喜んでいるほどだ。
旅に出かける前「行ってきます、何かあれば電話してくれ、すぐ帰るから」と意識して多めの言葉を掛けると「気を付けて行ってらっしゃい、急いで帰ろうと思わなくていいからゆっくりしてきて」と私を気遣った多めの言葉が返ってくる。

受け取り方によっては「早く帰って来ないほうが私もゆっくりできるから」と解釈もできるが、気遣いと受け取る技も幸せの秘訣なのだ。