60歳過ぎて娘の幸せを願う親の想い!

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人生の節目で最も大切なのは結婚

まだ20代の末っ子の娘に聞かれた。

「お父さんは結婚相手、つまりお母さんを選んだ一番の優先ポイントは何だった?」

私は少し間を置いてから答えた。
その質問に戸惑ったから即答できなかったのかも知れない。
どう答えるのが今はまだ独身の娘にとって幸せに繋がるのかを考えたのだ。

人生で最も大切な分岐点が結婚だ

60年以上生きてきたからこそそんな風に言い切ることができるのだろう。
勿論自分の子どもたちには平凡でもいいから幸せな人生を望んでいる。
そう思うのは親であれば誰でも共通した認識なのではないだろうか。
そして男も女も結婚相手によって大きく人生が変わるであろうことも一般的な認識のはずだ。

娘の質問に対して「人生で最も大切な分岐点は結婚だ」と答えた訳ではない。
だがその意味は分かってほしかった。

結婚相手によって、人生を送る場所も変わればライフスタイルも大きく変わる。
絶対とは言えないがほとんどの場合、女性は仕事まで変わることも少なくないだろう。

それだけではなくこれからの人生で出会うであろう人たちのご縁も変わり、もっと言えば生まれて来る自分の子どもですら結婚相手によって違ってくるのだ。

私は三人の子どもに恵まれたが、運良く三人とも申し分ない子どもたちに出会えた。
その要因は結婚相手が妻だったからということは紛れもない事実だ。

大切な分岐点で道を選ぶ決め手は人生経験だ

娘がこの質問をしたのは社会人になって5年目だ。
ある程度人生経験を積み若い時に比べ判断基準も冷静に考えるようになっているはずなのだ。
ただ一時的な好き嫌いだけで人生の最も大切な分岐点を決断することはないだろうと言える年齢だ。

10年以上も前になるが女性の知人から愚痴のような相談を受けたことがある。
その知人は私よりも若いが結婚したのも早く、子どもは二十歳くらいだった。
「まだ二十歳そこそこの娘が結婚すると言って連れて来た男が気に入らない」ということだった。
主人も猛反対で「絶対結婚はさせない、それでもと言うなら勘当だ」と怒り心頭に発していると言うのだ。

冷静に聞いた私に言わせれば「それは火に油を注いでいるようなものだ」と言わざるを得なかった。
好きな感情だけで燃え上がっている娘に両親の反対という困難を与えることは、単に娘とその彼氏の闘争本能に刺激を加え、より熱くしているような気がしたからだ。
自分の娘でもそんな冷静になれるかと言われれば自信はないが、「一年でも熱を冷ます時間を若い二人に与えてみてはどうか」とアドバイスした。

案の定半年も続かずその二人は自ら別れることになったと聞いた。

冷静に考えれば自分の人生の希望に当てはまる条件に優先順位を付け、その条件に合った結婚相手を選べばいいだけの話しだ。

結婚相手に求める条件

優しさや生活力、スタイルや顔、趣味や価値観など挙げれば切りはないが、これらの条件に優先順位を付けて見極める冷静さは必要だろう。
私自信が結婚したのも30歳だったが、既にそんなことを考えていたと記憶している。

このような考え方には異論を唱える人も多いだろうが、これはあくまで親としての考えだ。

生物的本能から言っても遺伝子が子孫に受け継がれることは無視できないところだ。
それがまだ何十年も残されている自分の人生に大きく影響を与えるとなれば尚更だ。

結婚する相手によって自分の未来が変わるとなれば、一時の感情で安易に決断できないことは言うまでもない。

文頭の質問を受けた時点で娘に彼氏がいたのか、それともこれからの参考にしたいのかは分からないが適当な返事をしてはいけないと直観的に感じた。
親として娘に幸せな人生を送ってほしいと願い、その想いを込めた答えを伝えるなら結婚は人生で最も大切な分岐点だと分かってほしいのだ。

そうかといって娘に嘘は言えないので、実際に自分が結婚前に考えていた相手に対しての条件を答えたのだ。

結婚や出逢いは宝くじのようなものではない

しばしば結婚は宝くじのようなものと例えられるがそれは誤った考え方だろう。
確かに出逢いには運やまんもあるだろうが、幸せな未来を運やまんだけに託すのはあまりにも安易な考え方だからだ。

ある程度人生経験を積めば相手の人相や仕草、言葉や行動などでその人が結婚相手に相応しいか見極めることもできるだろう。
だが人生経験がまだ多くない若者にはその他の感情が邪魔をして冷静さを欠いてしまうことも少なくない。
それを物語っているのが離婚率の上昇だ。

昔、親が決めた相手と人生最後まで添い遂げた人が多いのは、親は人生経験が長く冷静に相手を見極められたからではないだろうか。
しかも子どもの結婚相手本人ではなく、その遺伝情報を持つ親同士の判断も多かった。
これとて運やまんに託したのではないと言えるだろう。

娘に答えた優先条件

「一番優先したのは自分より賢い人」と答えた。
私自身が才知とか学力と言われる認知的能力にコンプレックスを持っていたのでそれを補うための条件だったのだ。

娘にしてみればこれだけ趣味の合わない人どうしが何で結婚したんだろうと不思議にすら思っていたのだ。
この謎はこの答えで解けたはずだ。

私が日曜日の朝、リビングでコーヒーを飲みながらクラシック音楽やジャズを聴いていると「うるさいから音楽消して!レストランじゃあるまいし」「日曜日の朝くらい静かに過ごしたいから」と妻が言っている情景を娘も目の当たりにしているからだ。

要は趣味の価値観を犠牲にしてまでも自分の足りない能力を補うことを優先した結婚なのだ。
そのお蔭で私の策略は功を奏した。

勿論いいところばかり似たのではないが、子どもは三人とも妻の認知的能力の遺伝情報を受け継いだようだ。

そして趣味の価値観を犠牲にしたとはいえ、仲が悪いわけでも喧嘩をするわけでもないことも一番知っているのは娘なのだ。
私の今の平凡な幸せがあるのは、結婚という分岐点で自分が選んだ道を進んだ結果でもある。

娘に一番伝えたいのは、この平凡な幸せの分岐点が34年前の結婚だったということだ。