人との出会いが人生を決める!

haccyaさんによる写真ACからの写真

人生を決める要素で最も大きいのは人との出会い

飛び込み訪問営業で学んだ営業のコツとさぼりのコツ

決して自分で選んだ道を思い通りに歩んできた訳ではない。
社会人になってからの40年間を最も苦手な仕事で人生を送ることになった切っ掛けは、良しも悪しきも人との出合いだった。

技術志望が営業2課に配属

40年ほど前、最初の会社に入社する寸前まで自分には営業は向いていないと思っていた。
当然のように技術系を志望して採用された会社ではあったが、配属が決まるまで研修期間ということで技術や営業の知識などを3ヶ月程度掛けて一通り勉強させられたことを思い出す。

その後辞令交付された配属先が予想外の営業2課だったことで「就職詐欺だ」と心の中で叫んだほどだ。
とにかく人と話すことに自信がなく、営業ほど苦手な職業は他にないと考えていたからだ。
しかしそれから定年退職するまでの仕事をほぼ営業職で過ごすことになるが、なぜ絶対無理だと思っていた営業職で生きてこれたのか要因を考えてみるとこの営業2課に配属された最初の仕事に辿り着く。

技術志望者の私が営業に配属された理由は、系列会社での希望退職者をその会社が受け入れて優先配慮するために技術職に空きがなくなったのが原因だった。

配属後に課長から受けた指示があり得ない

あるメーカーの商品を販売するのがその課の仕事だったのだが、そのメーカーの商品を販売する手段の一つとしてお客様に事前に積み立てをして頂いて販売する方法があった。
一般家庭に何十万円もする商品を販売するのだから販売戦略としては理に叶っていた。
しかし積立の契約を取って来る専門部署も他にあり営業2課の主な仕事ではなかったが、それでも30件程度のノルマが営業2課にも課せられていたのだ。

営業2課に配属された数日後、課長から指示を受けた仕事がその積立ノルマを任せるというものだったのには営業2課に辞令交付された以上にショックを受けたのを忘れることはできない。

どうしたらいいのか言葉も出ない私に課長が「明日からタイムカードを持って積立専門部署へ出勤してくれ」と言い放ったのだ。
更に「この営業2課のノルマが達成出来なければ帰ってくるな」と補足され、そのショックは明日退職願を出すか五分五分の判断が頭を過ぎったほどだ。

人生初の営業体験が飛び込み訪販

次の日、意を決してその積立専門部署にタイムカードを持って出勤した。
その部署の課長から歓迎されたものの、毎日一件の契約をノルマにすることを伝えられると気が滅入る他なかった。

9時から始まる朝礼が終わると会社を出て夕方5時まで飛び込み訪問をする毎日が始まった。
朝礼で適当に自分で決め発表した地区まで電車やバスで向かい、団地などを片っ端から訪問しなければならないのだ。
毎月二千円、三千円、五千円の何れかのコースを説明し、契約書に押印して頂いて一回目の積立金を頂く仕事内容だった。

最初はチャイムを押すことにも勇気を伴い簡単ではなかった。
頭の中は「今は朝食の片付けや掃除で忙しい時間帯なのに見ず知らずの私が訪問しても追い払われるだけだろう」などと先入観や思い込みで膨れ上がっていた。

一日に何百軒と訪問してもそんなに簡単に契約が取れるはずもなく、チャイムを鳴らす恐怖心も変わることはなかった。
人と話すことも苦手だと自覚している者のする仕事ではないということが頭から離れることもなく数日が経った。

人生初めての契約で気付いたこと

一週間近く何の成果もなく罰ゲームのような飛び込み訪問営業を続けていたが、その日もいつも以上に蒸し暑く背中は肌着を通り越してワイシャツまで汗で濡れていた。
40年経過した今も忘れない日になるとは思いもよらなかったのは、まさかこんな私に契約をしてくれる人など現れないだろうと思い込んでいたからだ。

例え二千円とはいえ、初めて来た見ず知らずの若者に契約書に押印しお金を渡す人などいるはずもないだろうと思いながらその日も終わろうとしていた。

午後4時を回り「今日も一日よく頑張った」と自分を慰めながら、「少し早いがゆっくり帰れば適当な時間に会社に着くはずだ」と思い駅に向かっていた。

歩いていると前方に3軒ほどの家が並び、その一番奥の家の奥様が外に出てジョロで花に水やりをしておられるのが見えた。
西日が当たる花壇は日除けもなく、その奥様の優しそうな顔を遮るものは何もなかったことでチャイムを押す恐怖心は消えていた。

今日の仕事は終えて帰ろうとしていたのには間違いないが、「もう一軒だけ訪問してもいいか」と思えたのはその家の奥様の顔が優しそうに見えたからだ。
今までのチャイムを押す恐怖心は、どんな人が出てくるのか分からないからであって、最初から顔が分かっているというだけでこれだけ安心できるのかと思い知らされた気分だった。

疲れてはいたがこれ以上はない笑顔で「こんにちは、私は~」と訪問した目的の内容を話しかけた。
「ここでは暑いので」と東側の玄関内に招かれ冷たいお茶を頂いた時には「世の中にはこんないい人がいるんだ」と初めて思えたほどだ。

運よくその方にも興味がある商品の積立ということや、その業界では最大手で知らない人はいないほど信用度が高いメーカーだったことも幸いしてすぐに契約成立となった。
呆気ないほどの契約で、今まで一週間近く訪問した何千軒という人との違いは何なのだろうと不思議で仕方なかった。

誉められる喜びと仕事の喜びを知る

会社に戻るといつものように課長が「今日はどうやった」と声を掛けてきた。
いつもなら「どこどこの地区を隈なく廻りましたが契約は取れませんでした」と言い訳がましくいうのが精一杯だったがその日は違った。
ウキウキした心を見透かされないように精一杯平静を装い「一件ですが契約を頂きました」と報告すると、その課長が大きな声で「みんな聞いてくれ、初めての契約や」と言って拍手したのだ。
そのフロアにいた全員が立ち上がり「おめでとう」と言って拍手喝采を浴びることになった。

その瞬間隠していた感情が溢れ出し、今までに出したこともない笑顔を振りまいていたのを思い出す。
一件契約を取るということがどれだけ難しいことだと知らしめたつもりもないが、たった二千円の契約とはいえこれほど誉められると一時的にも有頂天になった。

契約が取れない日はどれだけ汗をかこうと報われず、契約が取れた日はこれほどの祝福を受けるほど遣り甲斐を感じる「これこそが営業の世界」だと分かった気がした。

さぼるコツを教えてくれた先輩営業マン

初めての契約の数日後も夕方になって契約して頂けた。
そのまた数日後初めて午前中に契約して頂き、今日のノルマは達成でき早めに昼食を取ろうと目に入った食堂に入ると同じ仕事をしている先輩に出会った。

「お~よう頑張ってるな、今日の調子はどうや?」と声を掛けられたので正直に一件契約が取れたことを話すと、「それで気を許したらあかん、昼からも頑張ってもう一件契約を取ってこい」と言われた。
やはり営業の世界は厳しいと感じ聞いていると「二件目の契約が取れたら今日の日付は書かんと空けといてもらい」と言う先輩に理由を聞いた。
「あほやなあ、今日のノルマは達成できたんやから次に取る契約は明日の分や」「今日会社に帰って提出するのは今持ってる契約書でこれから取れた契約書は明日提出する分やからな」と二件目もすぐに契約が取れるかのような口ぶりだった。

先輩の暗示に掛かったのかその日の夕方二件目の契約を頂き、先輩から言われたように日付は空白にして頂いた。
勿論その日も一件の契約書を提出して課長に誉め称えられたが、密かに隠したもう一件の日付空白契約書はカバンに潜ませていた。

次の日朝礼を終えて駅に向かって歩いていると後ろから追いかけて来た例の先輩が「どうやった?今日の契約は取れたんか?」と聞くので「おかげさまで昨日の夕方契約して頂きました」と言うと「ようやった、ほなさっそくお茶でも飲みながら打ち合わせしよう」と誘われたがその時は意味を十分理解できてはいなかった。

会社からさほど遠くない喫茶店に入り、先輩と二人だけの打ち合わせで今日のスケジュールを相談された。
それは今から帰社するまでの時間を何をして遊ぶかの相談だった。
「先ずは駅のコインロッカーに営業カバンを放り込み映画でも見よう」「その後ボーリングはどうや?」と楽しそうに話す先輩に「ところで先輩は今日仕事しなくても大丈夫なんですか?」と聞いた。

「もうこの部署に来て3年目やからな」「いつでも出せる契約書の一件や二件は持ってるから心配いらん」と自信満々に語る先輩を見て「本物の営業マンとはこんな人のことなんだろう」と妙に納得していた。
その日は映画を見てボーリングを楽しんだが、帰社して契約書を提出すると課長の変わらない握手をしながら「おめでとう」の祝福に心が傷んだ。

良くも悪くも人生が決められたのは人との出会い

あれだけ営業という仕事に向いていないと自覚しながら営業職で人生を過ごすことになったのは、この時出会った先輩の影響力の他に思い当たることはない。
人との出会いが人生を決定付けるほどの影響力を持っているということが今になって実感できる。

あの日、早めの昼食を取ろうと入った食堂でその先輩に出会っていなかったら、罰ゲームとしか思えない仕事に耐えかねて退職していたかも知れない。
どんな時もポジティブな先輩が「営業の特権は時間が自由に使えることだ」と教えてくれたことで続いたのは間違いないだろう。

今でも色々なことに影響を受けながら人生を送っているが、人から受ける影響力の大きさは変わりない。
自分のモチベーションが下がれば例え若い人の動画であろうとブログであろうと利用させて頂いているが、できれば人様に少しでも影響を及ぼすような文章を書けるようになるのが今の夢だ。