初めて知ることになったカンボジアの文化

真面目なカンボジアの好青年

カンボジアの正月は3回あった

「Happy khmer new year」とラインでメールが届いたのは今日(4月14日)のことだ。
昨年行ったアンコールワットがある都市、シェムリアップで5日間お世話になったトゥクトゥクの運転手チャン君(27歳)からだった。
日本に帰ってからもたまにラインで遣り取りしているが、何でもない日本で撮った写真を送ったり私が作っているユーチューブ動画を送っている程度だ。
この「Happy khmer new year」ハッピー?ニューイヤーに日本人なら違和感を感じて当然だろう。
英語がまったくといっていいほどできない私も「ハッピーニューイヤー」ぐらいは直ぐに読めたが、その間に挟まっている khmerを最初から理解することが出来なかった。
そのため「何の冗談だ」What a jokeとグーグル翻訳で英語に訳して返信しようとしかけたが、「いや、ちょっと待てよ」と思い留まった。
思い留まったのは27歳というまだ若いカンボジア人といっても、その青年はいつも冗談を言って人を笑わすキャラクターではないことを知っていたからだ。
言葉は99%通じず、顔の表情と手ぶり身振りだけで意思疎通してきたからこそ感じることができるその青年の性格からは、冗談という行動は相応しくないと感じたからだ。

そういえば昨日、そのチャン君がラインのビデオ通信(テレビ電話)を使って電話をしてきた。
なぜビデオ通信かと言うと、顔の表情と手ぶり身振りで会話が成り立つことを彼は知っていたからだ。
スマホの画面からは、その青年の背後に南国らしい風通しのよさそうな部屋の内部が見て取れる。

私:指を差しながら「ユーハウス?」
彼:「Yes”」
私:私はスマホのカメラをゆっくり自宅の内部が分かるように廻しながら「マイハウス」
彼:愕いた顔で「Great!」
私:「ホリデー?」「ワーク」
彼:「Yes”Yes”」「New Year」
私:首を横に傾げて日本語で「えっ!」
彼:「Today and tomorrow」「Holiday!」
その後クメール語で何か言ってから
彼:手でおいでおいでをしながら「come back」「Cambodia」
私:笑顔で「OK!」

これでほぼ会話は通じている。
そう思っていたが実は肝心なことが伝わっていなかった。
彼は正月なので「今日も明日も休みです」と言いたかったようだが、日本人の私は何となく「ニューイヤー」とは聞こえたものの、4月の正月など最初から予測もできないから聴き取ることができなかったのだ。

昨日はそれでラインのテレビ電話は切ったが、今日また「Happy khmer new year」とラインメールが届いた。
グーグル翻訳で訳して見ると「明けましておめでとうございます」と出たものだから、疑問を感じてその「明けましておめでとうございます」をクリックすると「ハッピークメール新年」と表示されたのだ。

「ハッピークメール新年」とはどういうことだと思い、ネットで調べると今日(4月14日)はカンボジアで一年に三回ある正月の内の三回目の正月で、最も賑やかな正月だということが分かった。

カンボジアには一回しか行ったことがないが、彼とラインでの繋がりを持っていなかったら、まさか今日がカンボジアの正月だとは知る由もなかっただろう。
彼とはたった5日間しか一緒にいなかったが、その冗談も言えない生真面目な性分や相手に伝えようとする一生懸命さはよく知っている。

やはりどこの国の人であろうが、表情や人相は言葉以上に大切なコミュニケーションの一部だ。
最初にこのカンボジアの青年にシェムリアップ滞在中のトゥクトゥクをお願いしようと決めたのも、彼の優しそうな表情から見えた人柄からだった。

ラインのテレビ電話も彼のおかげで初めて体験できたが、もしこれが電話だけなら言葉の通じない者同士の意味不明な遣り取りで終わっていたことだろう。
たった数分のテレビ電話で彼の暮らしぶりや、カンボジアの文化、クメール人の優しさなど多くを知ることができた。

私には60歳過ぎて孫もいるが、その孫が成長して海外に行ったとしてもこのラインのテレビ電話が使えたら役に立ちそうだ。
たまに韓国の知人もラインでメールをしてくるが、定年退職してからこれほどグローバルな人生になろうとは思いもしなかった。

中途半端な韓国語知識とまったくと言っていい英語能力でも、表情と手ぶり身振りでどんな国でも通用しそうに思えてきた。