定年退職後に興味のないことをやってみる価値

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日課にできるほどの趣味を持っている人は変わり者扱いされるほど希少だ

65歳になり雇用延長も終わってサラリーマンを続けられなくなった人の中には「明日から何をして暮らせばいいんだ」と悩む人もいるが、このような悩みはその時にならないと実感できないことでもある。
今年の3月末に退職することになっていてもそれまでの2ヶ月は「やっとこれで仕事に行かなくてもよくなる」とか「長年働いてきたがやっと正々堂々と自由を手に入れられる」などと意外にポジティブな時間を過ごせるのだ。

何もやることがない時間を持て余し「せっかくの第二の人生なのにこんな事でいいのか」と悲観めいた感情になってくるのは定年退職から3ヶ月ほど過ぎた頃だろう。

やることがある人は幸せ

興味のあるなしに関わらず退職後にやることがある人はまだ幸せだ。
例えば三反程度であっても田畑と農業機械があり「先祖から受け継いだ土地を荒らす訳にはいかない」という使命感だけが切っ掛けであったとしても第二の人生の遣り甲斐にも繋がる可能性は高い。

もちろん毎日でも打ち込める趣味を持っている人は理想的だが、日本人にそんな人は稀だと言える。
お金に執着せずに毎日絵を書いて暮らす人や作家でもないのに毎日小説を書いている人、飯を食べるのも忘れて陶芸に打ち込んでいる人や写真家でもないのに自己満足だけで毎日写真を撮りに出かけている人などは俗世間では変わり者扱いだ。

だが第二の人生でやることがない人にとっては、そんな変わり者を見ても羨ましいと感じしまうだろう。
それならそんな変わり者になればいいだろうと言う人もいるだろうが、誰でも簡単に真似のできることではない。
これまでも変わり者になれないから長年サラリーマンを続けてこれたと言ってもいいだろう。

これらのことからも言えるのは、ただ興味があるとか好きなことだけではやることがあるとはならないと言うことでもある。

旅行に興味があっても退職後、仕事をするように毎日旅をすることなど誰にでも出来る事ではないことくらい想像はできる。
読書やカラオケなども同じことだ。

嫌なことやりたくないこと以外はすべてやりたいことの種になる

60年以上生きてきたとはいえ世の中には経験したことのない事は山ほどもある。
もちろん経験したことがないのだから嫌なことなのか苦手なことなのかも分からない。
嫌いとか楽しい、煩わしいとか不得手とは経験して初めて覚える感情だからだ。

定年退職後に毎日生き生きとやりたいことに打ち込んで過ごしている人も、やってみたいと思うようになった切っ掛けは確実にあり、その切っ掛けに出合うまでは考えもしなかったことに違いない。
やってみて初めて楽しさに気付き、継続できるほど心に刺激を受け続けているのだろう。

自分ですら気付いていない第二の人生に打ち込めるやりたいことは、とにかく思いついたら何でも一度試してみるより見つける方法はなさそうだ。
それらはすべて「やってみたら意外に楽しく一生打ち込めそうだ」と思えることに繋がる種になる。
次から次へと挑戦してみて性に合わないと感じれば止めればいい。

「そんな邪魔臭いことしなくても自分の性分くらい分かっているから」と聞こえてきそうだが、それが案外そうでもない。
「こんな事を楽しいと感じるなどとは思ってもみなかった」とか「まさかこんな風に発展するとは思ってもみなかった」といった思いがけない予想外の感情に繋がって行くことも少なくないのだ。

興味のあることや今持っている趣味が絶対ではない

例えばサラリーマン時代に好んでゴルフをしていたとしても、定年退職後に毎日ゴルフで時間を過ごせる人は稀だろう。
何十年も会社という職場に縛られてはきたものの仕事だからこそ毎日継続できただけのことだ。
嫌であろうがやりたくなかろうが生きていくためには毎日仕事をしなければならなかっただけだ。

ところが定年退職してしまえば仕事をして日々の時間を潰す必要がなくなる。
もちろんノルマや生産性を気にすることもない。
何もせずに毎日テレビを見ていても時間だけは同じように過ぎていくが、そのストレスレスが自分の心を蝕んでいくことになる。
結局好き嫌いは言わずにどんな仕事でも探して時間を潰せないか考えるようになるのだ。
このような仕事探しは老後の資金不安からくるものではなく、何でもいいから時間つぶしのやった感が欲しいだけだ。

ほとんどの人が在職中に持っていた趣味などでは、到底日々の時間を有意義に使うことができないからでもある。
年金や蓄えで仕事をしなくても暮らせる人が定年退職後に仕事を探すのはゴルフや釣り、旅行や読書では生き甲斐を見つけることができないからだ。

これまで趣味だと言っていたことはサラリーマンをしていたから趣味として成立していたに過ぎない。
「定年退職しても趣味があるから大丈夫」とは到底言えないと思っていた方がいいだろう。

更に言うと私のように多趣味の人の方が無趣味の人よりも危険だと感じている。
「あなたは多趣味だから定年退職してもやることがいっぱいあっていいですね」と言われたこともある。
「私は無趣味だから定年退職後は小さな畑くらいしかすることがないんですよ」と聞いたこともある。

これを比べれば明らかに前者の方が第二の人生を楽しく過ごせそうだと思えるが、それは唯の思い過ごしに過ぎないことは私が体験済みだ。

どれだけ楽しい趣味を沢山持っていようがじっくり腰を据えて毎日打ち込める趣味などひとつもないと気付くのは24時間の自由を手に入れた後だ。
何とか時間を作ってやっていた趣味は仕事などの現実から逃れられるという幸せ感が大きかったが、いつでも出来る趣味にはその感覚はまったくない。
海外旅行から家に帰る最後の日、「ああ、明日からまた現実だ」と感じた人は多いだろう。

その点、元々無趣味な人の方が謙虚に幸せを感じ取ることができそうだ。
「小さな畑しかないが野菜作りもこだわれば楽しいものだ」「土の匂いを嗅いでいるだけでも懐かし時間が蘇り幸せだ」と言う人もいる。

定年退職して時間はあるのに何をしていいか分からない時は

「とにかくこれまで興味がなかったことでも思いついたことはやってみるのがよさそうだ」と言ってもそれも思いつかずネガティブな感情で心が支配されている人もいるはずだ。

そんな時は先ず心を動かす切っ掛けを見つけなければ何も始まらない。
定年退職から3ヶ月以上過ぎても何もせずダラダラしていると、体中にネガティブ感情の幕が出来たかのように何も受け付けなくなる。

「どうせ何をしてもうまくいくはずもない」「やりたいことも思いつかないから1円パチンコでもして時間を潰すか」といったように負の感情や負の行動を優先してしまう。
そんな時こそ前向きに物事を見て「取り敢えずやってみるか」と思える心の原動力だ。

その切っ掛けに最もお勧めなのが前にも書いた朝の本気掃除だ。
心が弱っている時や何もする気力がない時など取り敢えず朝の本気掃除をやってみると、終わるころには見違えるほどやる気で満ちていることだろう。

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