忍び寄る空虚感

今の自分に見えているのは目の前のほんの狭いところだけだ

定年退職が招く不幸

月日の流れるのは早いと分かってはいても、こうして退職後の過ぎし日を数えていると虚しさが一段と増してくる。
現役で仕事をされている人からは「何を贅沢な事を言っている」とお叱りを受けそうだが、時折虚しさが心に湧き上がるのは今の生活に何か物足りなさを感じているからなのだろう。
人は誰も生きるための目的を探そうとしたり、何のために生を享けたのか考えたりすることがあるが、そんな簡単には答えが出ないのだそうだ。
世界に名を馳せた多くの偉人達も「結局何も見つけることが出来なかった」と言ったような虚しさを表現した言葉を最後に残している。
それを聞くと、何も成し遂げた事のない私が虚しいのは至って当然のことなのだろうと思えてしまう。

結局はどんな目標を持っても、欲の絡んだものでは到達点が無限に遠く感じて有限の人生ではそれに追いつくことは不可能なのだろう。
人生とはそんなもので、仏門に入って悟りでも開かない限りは誰も空虚感から逃げる事はできないと言う人もいる。

60歳過ぎて「最後の人生を心豊かに有意義に生きてやろう」などと思い上がった考え方をした自分に早くも悔いる時が来たようだ。
5ヶ月を過ぎた位で答えを出すのはまだ早いとは思うが、やはり考え方を少し修正しないといけないような気がしている。
まだまだ人間的にも不完全な自分を謙虚にするところから始めなければ、何も進まないのではないか。

かと言っても全ての欲を捨て、仙人のように山に入って暮らすようなこともできず、最低でも死ぬまで生活に必要な資金の捻出を考えなければならない。
今のまま蓄えを食い潰しても思っているより早く限界が来るであろうし、年金など待っていてもそれだけで生活できるとも思えないのだ。

ついこの前まで「まあ何とかなるか」と悠長な事を思っていたが、心に空虚感が漂い出すと「このままでいいのか」とか「今の自分は幸せか」などと自問して、先の見えない行動に不安を感じ出す。
毎日パソコンに向かってブログを書いたり調べ事をするくらいが日課になっているので、今問題になっているネット依存症になっているのではないかとさえ疑ってしまったほどだ。

どちらかと言えば根本にあるネガティブな性分が勝ち始めると悪い連鎖を呼ぶ事がある。
空虚感が不安感を呼び寄せ、次には自分まで信じることができなくなっていくようだ。
おそらく部屋の中で一人でいると状況は更に悪化することは目に見えているので、外に出て行動することが妙薬になるのではないかと考えている。

前回書いた「60歳からの一人旅」が今週なのでその準備に託けてホームセンターなどに出かけてみるしか能がないが、その一人旅の出発も台風21号の影響を受けなければいいのだが。