定年退職という分岐点から始まる冒険とは・・

定年退職は人生最初で最後の大冒険・・

人生の分岐点とはその人の何かの切っ掛けで環境が変わった時、それまでの人生とその後の人生が大きく変わっていくことだ。

例えば人生最初の大きな分岐点が卒業後の就職だ。
卒業という切っ掛けによって学生から社会人になり、その前後の環境も大きく変わって行く。
だがこの時の船出はまだ大冒険とまではいかない。

定年退職で変えなければならない人脈

定年退職の切っ掛けによって変わる環境変化は多くあるが、その中でも大きいのは人脈変化だ。
定年退職という切っ掛けがこれまでの人脈を断ち切ってしまうので心の準備も必要だ。
中にはこの人脈を断ち切りたくないと、退職後も何度となく退職前の関係者に電話を掛ける人がいるくらいだ。

しかし退職者の方から理由もなく電話を掛けるのは止めた方がいい。
人脈を断ち切りたくないと思って電話をしてしまう退職者に多いのは、退職前はそこそこの地位にあって「自分は部下から慕われている」と思い込んでいる人たちだ。

電話を掛けられる部下にしてみれば「やっと縁が切れたと思ったのに」と感じているが、電話を掛ける退職者は暇を持て余しているので相手の気持ちなどくみ取れるはずもない。

定年退職前後の人脈変化が特に大きいと思われる仕事が営業職だ。
現役時代は人と会って話すことによって人脈を大きく伸ばすのが仕事だったが、定年退職というタイミングでその全ての人脈を失くすと思っておいた方がいい。

定年退職後は一から新しい人脈を構築する心構えが必要なのかもしれない。

それまでの仕事で培った多くの人脈に匹敵するほどの人脈づくりを期待してはならないが、最後の人生を共に楽しんだり豊かな心を共有できる最低限の人脈は必要だろう。

そのためにはこれまでのご縁に感謝しながらも、新しい人脈で社会との繋がりを保とうとするのが賢明だ。
何はともあれ、とにかくこの定年退職前後の人脈変化は退職前から心しておいた方がいいだろう。

定年退職と共に失くすものは想像以上に多い

収入や居場所、やること、日課、仲間、緊張感などは定年退職と共に失くすと言える事柄だ。サラリーマンをしている時は、当たり前すぎて意外とこれららのものに対して意識が薄い。
仕事をしているのだから頂いて当然と感じていた収入であったり、行きたくない日も仕事だから仕方なく行っていた会社が自分の居場所となっていた。

朝の掃除、朝礼、メールチェックなどは代わり映えのしない日課になっていたはずだ。
職場には毎日顔を合わす同僚などの仲間がいるのも当たり前だ。
時には思わぬ仕事の依頼を受けたり、思わぬ人から電話が来るなどの緊張感も味わえるのが会社というものだ。

定年退職して初めてこの当たり前の毎日を失った現実と向き合うことになるのだ。
そして失くしたこれらの埋め合わせを自ら考えて行かなくてはならなくなる。

ところがこれらの当たり前すぎて意識することすらなかった事柄を、退職後にひとつずつ揃えていこうとしてもそう容易く手に入るものではないことに気付かされる。

そう、例え自分の持ち家があったとしても、どこにも居場所すらないことに退職してやっと気付くのだ。

考え方を変えると定年退職は人生初めての大冒険への出発点!

何も準備をせず成り行きで定年退職を迎えるということはある意味、ひとり大海原へイカダに乗って漕ぎだしたようなものだ。

助けてくれる仲間もいなければ、安全に航行できる装備もない。
大きな声を出しても誰にも届かず、あるのは不安と孤独だけだ。

だが、そこに希望がないわけではないし、誰にも邪魔されることがない自由も存在する。
南の楽園に辿り着く夢を持ち、今日はどんな魚を釣ってみようかと考えるだけでも心は潤う。

この人生最初で最後の大冒険を精一杯楽しんでこそ悔いは残らないだろう。

これまでに大金を稼いだ成功者とは違い、普通のサラリーマンの船出とはこの程度に考えてこそ大冒険と言えるものだ。
安全に航行できる大型ヨットでは大冒険とは言えないという理由からだ。
こんな冒険は定年退職のあるサラリーマンだからこそ経験できるものだ。
しかも定年退職という大義名分付きだ。

冒険という以上ワクワクする気持ちや好奇心を抑えてはならないし、常に冒険中だということを意識するべきだ。
だからといって「すぐそこに楽園がある」と期待したり、「そんな楽園は永遠に見つかるはずもない」と希望を捨てることもこの冒険にはご法度だ。

自由をコントロールできてこそ人生最後の分岐点が生きてくる

定年退職して人生最後の冒険に旅立ったとしてもいいことばかりではない。

いいことどころか全てを失ったような喪失感すら味わうことになるが、それは「まるで心にポッカリ穴があいたようだ」などと表現されることも多い。
そんな中で自由だけがこれまでの人生で得られなかった唯一のものなのだ。

その自由という感覚はサラリーマン人生を送った人の誰もが最後に手に入れる特権と言ってもいいだろう。

しかしこれまで長年組織に縛られ続けてきたサラリーマンがやっと手に入れた自由とは言え、その使い方や楽しみ方を知らずに持て余してしまう人も少なくないようだ。

まるで鵜飼の鵜のように、綱で繋がれている時の方が平常心でいられるような錯覚にさえとらわれることもある。
ややもすれば毎日の自由に罪の意識すら感じることもあるくらいなのだ。
「仕事をしないのは怠け者だ」とか「毎日遊んでいていいのだろうか」などと自暴自棄になりやすくなる。

そんなことを言っている私もまだうまく自由を使いこなせていないが、自由をうまくコントロールできてこそ定年退職という分岐点が生きてくると言うものなのだろう。