定年退職してから読みたくなる本を探すには?

Susanne Jutzeler, suju-fotoによるPixabayからの画像

本を読まない人は決して本が嫌いな訳ではない!

年齢別読書傾向を調べると、予測した通り年齢が高くなるのに伴って読む冊数は減っている。

なぜ読書傾向など調べたのかというと、定年退職後から本を読むことを忘れているかのように本を読んだ記憶がないからだ。

人生に影響を与えるほどの本歴があるとするなら

人には誰であれ人生本歴があると思うが、60年以上も生きてきた人の人生本歴には少し興味が沸いてこないだろうか。

人生本歴の興味とは生まれてから今まで、人生の経過と共に読んだ本によって人生に影響を及ぼした是非との関連を知ることだ。
敢えて読書歴と言わず本歴としたのは、私のように到底読書家などとは言えない者が、漫画や週刊誌、ビジネス書などの文学とは言えないような本も含めて考えたいからだ。

自分で買って読んだ本は捨てたり古本屋へ持って行かずに全て本棚に置いている人は、その本棚を見れば自分の本歴が一目瞭然だとは思うがそんな人は稀だろう。

しかし残された本から記憶を辿り本歴を探ることはできる。

例えば女性なら、「そういえばこの本は20代後半に、始まったばかりの子育てに不安を感じていた頃に読んだ本で、育児書と合わせてこの手の本はよく読んだ」といった具合だ。

私も普段は見向きもしない本棚を最近になって見た時、自分の本歴を懐かしく思い出すことができた。

そこには20代にハマった海外スパイ小説の文庫本の名残や年代によって変わっていった趣味の本、転職の度に買ったビジネス書などが収まっていたからだ。

そのような本の中でも記憶を辿れば寝る時間も惜しんで読んだのが海外スパイ小説で、ビジネス書やテキスト類に至っては睡眠薬より効果が高いと思える本も稀ではなかった。

これまで読んだ本の分類を二つに分けるとするなら面白い本とそうでない本だ。

もし人生を変えるほどの本があったとするなら、それは寝る間も惜しんで読んだような面白い本に違いない。

例えば今でも海外に好奇心を抱いたり、観光地でも何でもない街に興味が沸き行って見たい衝動に駆られるのも若い頃読んだ海外スパイ小説の影響なのかも知れない。

このように30年以上も前に読んだ本が未だに感情を刺激しているとするなら、まだこれから出会う本によって大きく心が動く可能性も秘められていると言うことだ。

本を読まなくなったのは面白い本に巡り合っていないから?

文化庁の「国語に関する世論調査」を見ると60代の約半数が一ヶ月に一冊も本を読まないとなっているが、何を隠そう私もそのひとりだ。

ただ、本を読んでいないだけで文字を見ていない訳ではない。

朝は電子ニュースを読み、おそらく60代としては人様のブログなどは多く読んでいる方だろう。

だが定年退職してから読んだ本と言えば旅行本くらいで、時間も忘れて読みふけると言ったことは一度もなかった。

20代に読んだ名残の海外スパイ小説を息子たちの漫画本で占領された本棚の隅から見つけていなければ、この後も本の楽しさを忘れたまま人生を終えていたかもしれないと言うことだ。

この歳になって読んで眠くなるようなビジネス書を買う必要もないだろうし、資格取得のための教本を読むこともないだろう。

そこで一冊の歴史小説をオンラインで買って読んでみた。

その本が届いた次の日、朝から読みふけった。

食事以外の時間のほとんどを450ページあるこの本に没頭してみたのだ。

もちろん音楽やテレビの音が聞こえるようなマルチタスクな環境は避け、本の中に入り込むことだけを意識した。

しかしなぜか物足りなさを感じたのは、昔小説を読んだ時のような経験には至らなかったからだ。

自分の脳が作り出した活性化された異次元に落ちていく感覚がなかったのだ。

本の活字が頭の中で主人公の感情とリンクし、景観やそこに漂う空気の臭いまでも感じ取れるほどの感覚だ。

歴史には興味があるからと選んだ本が間違っていたのか、それとも当時は活字依存症の一歩手前だったせいなのかも知れないと思った。

印刷された活字を見ないと情緒が安定せず、本を開いて文字を見るだけで落ち着いたような経験も記憶にある。

そう思って考えてみると30代頃から雑誌やビジネス書、趣味に関連した本は買っていたが、小説から離れていったのは、おそらく話しの中に落ちて行くような小説は、睡眠時間を奪い疲労の原因になっていたからなのだろう。

人生の後半に差し掛かってから読む本は!

定年退職した今なら時間をコントロールして読書をすることも可能だろうから、何も疲労を伴うほど睡眠時間を削って本を読む時間に充てる必要もない。

それよりも眠れないほど面白い、話しの中に落ちて行くような本に出会うことの方が困難なのではと思えてならない。

昔、海外スパイ小説を読んでいた頃、話しの舞台になっている行った事も見たこともないスイスやフランスの街並みを想像して頭の中で映像化していたが、現在はYouTubeなどで手軽に世界の動画を見ることができ、話しの舞台もリアリティーを伴って覗くことができる。

小説を読みながら動画を見なくても今まで覗いた記憶の動画映像が勝手に小説とリンクしてくると言う方が的を得ているが、ただ想像で作り出した舞台に勝る世界はどこにも存在しないだろう。

それこそが映画にも勝る、話しの中に落ちて行くような面白い本ということなのだろう。

何も小説だけが面白いし60歳から読むのに相応しいと言っているのではない。

人によっては世間にあまり知られていない人の書いたエッセイに共感して心を奪われることもあるだろう。

私が私と同じような一般の人のブログを読むのも、共感できる文章を見つけることが案外容易なためだ。

人生も最終章と自覚できるこの歳になれば、自分には不可能と思える成功者のブログよりも普通にサラリーマン人生を送っているような人のブログの方が返って気軽に面白く読めるものだ。

本を読んでいない私が他の人にお勧めできる本はないが、定年退職した人に人生指南書などの自己啓発書は必要ないと思ってしまうのも同じような理由からだ。

私がお勧めできるのはダンボール箱の中に仕舞われような昔読んだ本を、整理がてら取り出して自分の本歴を思い出してほしいと言うことだ。

その中でも刺激を受けた本や、夢中になって読んだ記憶が蘇るほどの本があれば、最後の人生にも刺激を与えてくれるような本を探すヒントになるだろう。

海外旅行にも行けない今の時代だからこそ、夜も眠れないほど面白い本に出会ってみたいと願うばかりだ。