人生初のリストラ体験談
新型コロナの影響で人生が変わってしまいそうな人も多いはずだ。
人生とは思いもよらない出来事で、自分の意思ではない道に進まなければならないことも起こり得る。
夢を掴むために飛び込んだ仕事
まだ若かりし頃(40年以上前)、キャバレー(舞台のあるダンスホールのようなナイトクラブ)でバンドマンをしていたことがある。
今思い出しても田舎者で世間知らずの私には不釣り合いな職業だったと思っているが、当時の職業としても堅気な仕事とは言えなかっただろう。
何故ならサラリーマンのように安定しているはずもなく、到底田舎の家族や親戚の人たちに受け入れてもらえるような仕事ではなかったからだ。
田舎の親戚から「仕事は何をしている?」と聞かれて「キャバレーで働いています」と堂々と言えなかったのは、夢を追いかけたいと思いながらも自分自身が中途半端な気持ちだったと言うほかない。
バンドマンは夜に限った仕事で、昼は大きな工場(実際はその会社の下請け会社)でアルバイトをしていたのがその証しだ。
こうしておけばもし頭の固い田舎の親戚に聞かれても昼の仕事を説明できるからだ。
バンドマンをしているほとんどの人は昼の時間を練習に充てていたのだから私の中途半端さが際立っても仕方ない。
バンドリーダーは一般的な会社で言えば課長だった
キャバレーと言ってもれっきとした株式会社で、社員やパートの勤怠管理はタイムカードでなされていたが、私たちの給与についてはバンドマンをとりまとめるリーダーが采配を振ることができるようだった。
当時そのキャバレーで働いていたバンドマンは、ショーを受け持つナインピースと言われる9人編成のバンドと、ショーの合間を受け持つ5人編成のバンドの総勢14人だ。
それぞれのバンドリーダーが一般的な会社に例えるなら課長と言うことになるのだろう。
私は9人編成のバンドに所属していたので、言うなればバンド部ナインピース課に配属されていたことになる。
そのバンドリーダーから入社1日目に言われたことがある。
リーダー:「悪いが君はこのタイムカードを使ってくれ」
私:「はい分かりました」「ですがこのカードには既に私ではない人の名前が書いてありますが」
リーダー:「気にしなくてもいいよ」「あっ、それからそのカードに書いてある名前が今日から君の名前だから」
後で分かったことだが、バンドのメンバーが変わると全体の収入が下がるようなシステムになっていたようだ。
そのような理由から一枚のタイムカードが受け継がれていたのだろう。
そのタイムカードに書かれていた名前は、その後日本のR&Bを代表するシンガーになった上田正樹氏だった。
しかしまだ「悲しい色やね」が発売されるまでのことで、この名前が全国に知られる前のことだ。
リーダー:「もし上田って呼ばれたら返事をするように」
私:「はい分かりました」
まあこの適当さが一般的な会社ではない証しだろう。
そしてバンドマンが正式な社員ではないということでもあったが、とにかく音楽をやりたいという人たちの集まりなので社員だとか名前などはどうでもよかったのだ。
バンドマンという職人たち
1回45分程度のステージを1日に4回熟すのが仕事で、ふたつのバンドが交互にステージに上がることになる。
私は当初9ピースの方のバンドで働いていた。
1回目のステージは早い時間ということもあり、まだお客様もちらほらで選曲もバンドマン好みのマニアックなジャズやラテン曲で音楽脳の準備運動的要素も兼ねていた。
2回目と3回目のステージは毎日行われるショータイムのバックバンドだ。
ショーを行うのは全国を巡っているドサ回りと言われる演歌歌手やマジック、スタントなどの芸人だ。
そのマネージャーから受け取る楽譜を初見で演奏しなければならない。
毎日初見で本番演奏するので楽譜を読むスキルは相当アップするが、それでも時々クラシックをジャズにアレンジしたようなアップテンポの難しい譜面を頂くと緊張した。
ラストで4回目のステージは夜も更けお客様も酔いが廻っていることから、ダンスに適したラテン系の曲を中心に演奏した。
この職業で最初の頃一番難しいと感じたのは、演奏スキルよりも外国語のような仲間内の業界用語で、それはまるで大工の修行で建築用語を覚えるようなものだった。
キャリアの長い人はステージに上がるまで楽譜に目を通すこともなく、どんな状況でも瞬時に判断して完璧に演奏できるスキルを身に着けているところが職人そのものだ。
例えばE♭のアルトサックス1本でC管のフルートやB♭のクラリネット用に部分的に書かれた譜面を初見で移調して演奏していたからだ。
今人生を振り返って、楽しいと実感しながら日々を過ごせたのはこの時が一番だったと思えるのは、自分より遥かに高いスキルを持った人たちとの演奏で毎日が夢の中にいるようでもあったからに他ならない。
バンドマンなのに突然の人事異動
ある日リーダーから移動の命令が出た。
一般の会社で言うなら内示だ。
リーダー:「悪いが来週からもうひとつのバンドへかわってくれないか?」
私:「と言いますと?」
リーダー:「知っての通りあっちのバンドのドラムが来なくなって1ヶ月程度になるが、戻って来る見込みも代わりが見つかる充てもないから君にしか頼めないんだ」
私:「ちょ、ちょっと待って下さい」「私は生まれてから一回もスティックを持った経験もないんですよ」
リーダー:「今週いっぱい教えるから来週の月曜日からステージへ上がってくれ」
私:「今週と言ってもあと4日しかありませんよ」「4日ではどうにもなりませんよ」
リーダー:「ショーのバックをする訳ではないから何とかなるだろう」「ひとまず基本のリズムは教えるから」
本意ではなかったが内示を受け入れるしかなかった。
何故ならこの9人編成のバンドの中では、抜いても音楽的に一番影響が少ないパートで尚且つ一番若く、しかもキャリアも短いのが私だったからだ。
バンドをかわることは今までのように楽しくはなくなることを意味していた。
初見もなくなり緊張感がなくなるのはもとより、音楽に向かう姿勢も大きく違っていたからだ。
その時は9ピースでドラムを担当していたリーダーがふたつのバンドを掛け持ちしていたこともあり、実際には教えて頂いたというよりは4日間見ていただけだった。
バンドマンはリストラで退職することに
5人編成のバンドに移動になってからは、言われた通り毎日ドラムを演奏することになった。
自分からやりたくて始めたドラムではないが、もし新しくドラム経験者が見つかれば元のパートに戻してもらえる可能性もあるのでクビにならないように努力はした。
私がバンドマンになってからも、ひとりクビになった人を見たことがある。
お金を頂いて演奏している以上プロとしてのスキルは当然だ。
その人は間違った音を何度も出すのでリーダーから注意を受けていたが、とうとう客席からクレームが来たので辞めさせられたのだ。
私もひとごとではなかった。
とにかく客席に違和感を与えないように演奏することで精一杯だった。
それでなくてもドラムの音はよく目立つが、下手をしないためには難しいことをしないことだと思い、基本的なリズムを繰り返すことに徹した。
そんな状況で2~3ヶ月が過ぎた頃だった。
遂にリストラで辞めなければならなくなった。
ステージ上からもお客様の数が少ないのは感じていたが、第一次石油危機の不況がキャバレーという業界にも尾を引いていたのだろう。
人件費削減のため先ずは5人編成のバンドをなくし、ピアノひとりでショータイムの間を埋めると言うことだった。
「人生初めてのリストラ体験が夢を追った仕事だった」と言えば聞こえはいいが、夢を追ったにしては中途半端が際立つ結末になってしまったのだ。
最終的にはどこの大型キャバレーも閉店したのだから、バンドマンをしていた誰もが道に迷うことになったのは言うまでもない。
しかし私のタイムカードの主のように、信念を捨てずに最後まで夢を貫いた人だけが自分で思い描いた道を歩けたのかもしれない。
短い期間でも夢のような仕事をした私は、その後営業職のサラリーマンで人生を送ることになったが、いつの世も誰もが思い通りに人生を歩んで来れたのではないことだけは確かだ。
例え今、崖っぷちに立たされていようが道はあるはずだ。
諦めさえしなければ。