老後の三種の神器とは何か考える

Dean MoriartyによるPixabayからの画像

急には揃わない老後の三種の神器!

老後になってから三種の神器とも言える宝物とは何なのだろう?

老後に不安は付きものだが、その不安を解消できて心豊かに生き生きとした人生にしようとするなら「これだけはなくてはならない」というものとは何なのだろう。
誰もが知っていて誰もが希望しているのに誰もが準備できないものが「老後の三種の神器」だ。

老後の三種の神器とは

「健康な心身」「生活基盤」「やりたいこと」この三つが老後の神器、つまり宝物ではないだろうか。
この三種のいずれかが欠けると定年退職後の老後生活が立ちいかなくなるのは誰もが知るところだろう。
だが知っているのと理解しているのには大きな違いがある。

「そんなことは言われなくても分かっている」と誰も思っているが、それではなぜ老後に不安を感じるのだろう。
それは順序だてて説明できるほど理解していなからではないだろうか。

健康な心身

「健康な心身」を保つのには、何をどうしておけばいいのかを理解して準備する人は少ない。
60歳過ぎて老化が加速していく仕組みを理解し、それを食い止める手立てを早い時期から準備しておくことなど実践している人は少ないだろう。

酒、たばこ、暴飲暴食、運動、健診、血糖値、代謝、睡眠、ストレス、糖質などこれらのよく聞く言葉をどれだけ理解してコントロールできているかを考えてみることだ。
60歳まではさほど気にしなくても何の問題もなく生活してこれたと安易に考えてはいないだろうか。

60歳までの心身とは違い、60歳からの心身はどう変わっていくのかを理解しておかなくてはならないだろう。

生活基盤

「生活基盤」とは生活をするための基礎になるもののことだ。
生活資金は勿論のことだが病院や食料品の買い物立地なども含まれる。
社宅などに住んでいる人は定年後住むところを探さなくてはならないが、賃貸に住んでいる人も持ち家に住んでいる人も20年後30年後をシミュレーションしておかなければならない。

働けなくなったとき年金で生活ができるのか、家にお金はどのくらいかかるのか、貯蓄は何のためにしているのかなどを理論立てて考えておかなければいつまでたっても老後の不安から逃げることができないだろう。

生活基盤を理解するとは、仕事をしている時と退職してからの生活にどのくらい違いがあるのか考えて準備をすることだ。
貯蓄の額が少なければ仕事をしている時と同じような贅沢な生活は慎まなければならないが、一度慣れてしまった贅沢な生活を急に質素にはできないのが普通の人なのだ。
今と同等の生活を年金だけで賄えないと考えるなら収入のある内から質素倹約を心がけ準備をしておかなければ急にはできないと言うことだ。

また車生活をしている人が、免許証を返納した生活を想像して考えておくことも生活基盤の準備だ。
75歳で免許証を返納したとすれば、食料品の買い出しはどうするのか病院に行く手段はどうしたらいいのかなど車に乗れない変化は生活基盤にとって重要な課題に間違いない。

やりたいこと

「やりたいこと」という問題については何度も書いてきたが、定年退職して仕事をしなくなってから考えようとしても容易く見つかるものでもない。
何もせずに一日中テレビを見て生活できる人もいないだろう。

遣ることも考えることもなければボケると多くの人が認識している割に、定年退職後の「やりたいこと」に関してして無関心な人が多いのも 事実だ。

どれだけ多くのお金を持っていようと「やりたいこと」がないということは生き甲斐がないのに等しいだろう。

これらの老後の三種の神器となる宝物は、その時になったら手に入るものでないことだけは理解しておくことが必要だ。
前もって準備しておかなければならないということを肝に銘じるべきだ。

老後の三種の神器を揃えるのは困難

これらのことは老後に必要だと誰もが分かっていても、全てを完璧に準備できる人は稀だと言わざるを得ない。
そんな時には妥協することも必要だ。

例え何かが少しくらい欠けていても自然に老後へ入っていく。
事前に準備するのが理想だが、準備できていない場合でも何とかなるものだ。
ただ苦労することになるのは間違いなさそうだ。

例えば「生活基盤」が整わず質素倹約した生活に慣れるよう準備ができていなければ、年老いても体に鞭打って仕事をしなければならないことにもなりかねない。
例えば「やりたいこと」を見つけられずに定年退職をした場合は、暇を持て余してギャンブルや酒に入り浸るやも知れない。
例えば禁煙や暴飲暴食が辞められずに「健康な心身」を維持することができなければ、黄金の15年と言われる60歳からの人生を病院通いで過ごさなければならなくなったりするだろう。

やはり10年後20年後の生活を豊かにしたいなら事前準備を怠らない方がよさそうだ。
人には困難を乗り越えて生きていく力が元々備わっているので必要以上に心配はしなくていいが、老後不安だけは誰もが抱えている人間の弱みとも言える。

年齢が高くなるにつれて必要なのはしっかりとした人生観と死生観なのではないだろうか。
「どうせ人はいつか死ぬ運命」といった考え方ではなく「どんな風に生きてどんな風に死ぬ」と人生設計したいものだ。