人生はリセットできないが人生観はいつでもリセット可能だ

Jerzy GóreckiによるPixabayからの画像

今楽しくない人は人生観をリセットして人生を変えて見よう

今持っている人生観は長年生きて行くうちに培われたもので、誰もが間違っていると疑うことはしない。
だが実際にはいじめや人を傷つけるような行為、更には詐欺などに手を染める者もいるのだから完全に間違った思想を持っている者もそれが幸せだと信じて生きている。

人生はリセットできないが人生観はリセットできる

人生観とは生きる上での思想や信仰、目標や価値観などあらゆる観念のことだが、60年以上生きてきた人はほぼ固定化されている人が多い。
若い時から色んな本や出会った人に影響を受けるなど、いいと思う方に傾いて今がある。
そうして作り上げてきた諸観念は60歳くらいになるとほぼ完成されたように感じ、もうそれ以上の人生観などないと思い込みを変えようともしないのが一般的だ。

だが今までの人生を振り返ってみると、完璧と思える人などいないのは当たり前だ。
できることならせめて30代の頃に戻って人生をやり直したいと思う人もいるだろう。
人生をリセットできるなら一からやり直したいと思う人も少なくないのではないだろうか。
しかも人生をリセットすることなど叶うはずもないのは誰もが承知していることだ。

しかし人生をリセットすることは叶わなくても人生観をリセットすることは可能だ。
何歳でであろうと今まで持っていたあらゆる観念を見直し、これからを新しい諸観念に変えて生きることでリセットするのだ。

人生はいい時ばかりではない。
山もあれば谷もあり平坦な道などどこにもない。
もし人によって違いがあるとすれば、深い谷を歩いた人ほど高い山に登っていることくらいだろうか。

今歩いている谷底を抜け出した人はその深さと同じだけの山に登ることができる

今辛い思いをしている人は谷底でもがいているはずだ。
もう疲れ切ってこんな人生など終えてしまいたいと思っている人もいるだろう。
だがそんな深い谷底にいる人はもがくのを止めてはいけない。

何としてでも這いあがりその谷から抜け出す努力をしなければならないし、抜け出せない谷などこの世にもないということを知っておくべきだ。
そして抜け出すことができた暁にはその谷の深さと同じだけの山に登る権利が与えられると言うことになるのだ。

病で苦しんでいる人、いじめで苦しんでいる人、仕事で失敗して苦しんでいる人など今深い谷の底を歩いている人も希望を捨てないでほしい。
谷が深ければ深いほどその次に見える山も高いはずだからだ。

人を谷底に落とせば次は自分がその谷に落ちることになる

神戸市の小学校で起きた教師のいじめ事件が話題になっているが、被害教師を谷底に落とした加害教師が今度は深い谷底を歩かなければならなくなっている。
世の中の道理とはこういうことを言っているのだろう。

更に言えば自業自得とはいえ、今谷底を歩く羽目になった加害教師らもこれで人生が終わった訳ではない。
なんとかこの谷底から這いあがり次に進まなくてはならない。

できることなら教師になる前に戻りたいと思ったり、人生そのものをリセットしたいと考えているはずだ。
だが当然人生はリセットすることも前に戻ることもできない。
だから人生観をリセットしなければならないのだ。

他人の苦しみを感じることができる「人」になるには人生観をリセットし、今までの諸観念は捨てて一から人生観を作り上げて行かなければならないだろう。
一人の被害教師を谷底へ突き落とした分、今度は多くの人を幸せにする人生に変えるには当然人生観のリセットが必要だということだ。

この事件は人の痛みを分からない者が幸せになることはできず、人を落とした谷に自分も落ちていくことになる正に因果応報という仏教用語に当てはまる道理の証しだ。

その人生観は大丈夫か?

心配なのは今この加害教師をネットやSNSで更に突き落としている人たちだ。
インターネットが普及して誰でも情報を発信できるような世の中になったことで、気付かずに深い谷の崖っぷちに近づいている人が増えているように感じるのは私だけではないだろう。

その多くは世の中のお役に立ちたいと言いながら気付かずに人を谷に落としているのだ。
確かに人を不幸にした者は裁かれなければならないかも知れないが、谷底の沼に落ちた加害者の頭を更に抑えるような人生観を真似たくはない。

加害者の顔写真を拡散するのは世の中のお役にたっているのではなく、気付かずに加害者と同じ心理状態になっていないかと警告したいのだ。
例え加害者とはいえ谷底へ落ちた者を更に深い穴へ落とそうとするような心情には、人の幸せを願うような感情とは掛け離れた人生観を感じるからだ。

目的が世の中のためになるからと思い込んではいるが、実はフォロワーを増やすためにやっているだけの人の道理から外れた行為にすぎない。
何故なら加害者にも何の罪もない家族がいて、その罪のない家族の気持ちを少しでも思いやることができるならこのような行為をしようとは考えないだろうと思うからだ。

60年以上生きている年寄りのたわごとだと受け取られようが「その人生観リセットしなくていいですか」と言いたくなる。