果報を寝て待つところまで程遠い!

トンレサップ湖のサンライズ

人生は決まっていないからおもしろい

定年退職してから今後の人生をどう生きるかは、まだ何も決まっていない。
既に9ヶ月が過ぎようとしているが、方向性も切っ掛けも何もないのだ。
ブログや動画を作ったり旅行のプランを考えたりすることが切っ掛けでやりたい事が見つかるのではないかと期待していたが、期待以上に報われることがないのは自分が一番分かっている。

何かしていないと落ち着かないのは生まれ持った貧乏性としか言いようがないが、最近になって将来の道が見えていない事に焦りが強くなっている。
「そんなに急ぐことはない、落ち着いてゆっくり進む道を探せばいい」と何度も自身に論じているが、まだ切羽詰まっていない将来不安を心配するのも、私のネガティブ思考の悪癖からだ。
「幸せはお金ではない」と言いながら、何年も今の食い潰し生活が持たない事も分かっているから焦りが強まっていくのだろう。
この焦りが不安を強め、不安が焦りを煽る悪循環となっていくのは目に見えている。

「果報は寝て待て」と言うが寝ては待っていられない、と言うよりまだ寝て待つところまで行っていない。
道が見えないのは私の行動が不足しているか、思いが欠けているのだろう。
言うなれば「志」が無いからに違いない。

退職前は「最後の人生を自由に心豊かに生きて見たい」などとほざいていたことが恥ずかしくなってくる。
サラリーマンの縛りから解放されたとて、やり遂げたいことや強い意志の持てる事が何一つ見つからなければ心を満たすことなど出来ないのだろう。

今は目の前にある事を自分なりに難なくこなしているに過ぎない。
何かしていないと落ち着かないので時間つぶしをしているくらいのことに思えてくる。

考えて見れば今までの人生は無難で器用に過ごしてきた。
敢えて荒波には近づかず、穏やかな流れに身を任せてきたせいで、深い川底を見たこともないのではないか。
どんな事でも無難にこなすのではなく精一杯向かって行かなければ光は見えてこないのだろう。

退職してからの行動を反省し、戒めなければ「心豊かな最後の人生」には近づくことも出来ないようだ。