定年後60歳からが黄金の15年とは本当なのか?

お金を持つことが黄金の15年ではない

希望こそが黄金に変わる

60歳になって定年を迎え子どもの扶養や会社からの束縛からも解放され、自由に好きな事をしながら最後の人生をエンジョイできると言われることがあるが、実際にそんな黄金の15年を送れる人は決して多いとはいえない。

そんな黄金の15年を送れる人とは、とにかく健康で生活資金に余裕があり、家族のことで何の不安や心配もなく、一生懸命打ち込める何かを持っている人ではないだろうか。
その内のいずれかが欠けているとすれば、黄金の15年はどうなるのだろ。

私の同級生にも癌などの大病で養生生活を送っている人や、親の介護で疲労が続いている人、老後の資金不安で辛い仕事を続けている人などは決して少なくはない。
そして私も黄金の15年を送れる条件に当てはまっている訳ではない。
誰の人生であっても、生まれてから死ぬまで順風満帆に進める人などいないであろう。

もし定年退職後に黄金の15年にしたいなら、そうなるように心掛けて準備をし、勇気を持って人生を変えて行く努力が必要と思われる。
惰性で定年を迎え、何も考えずに成り行きのまま進もうものなら黄金どころか灰色の人生になる可能性すら待ち受けているだろう。

体は老化が進んでいるのだから、若い時と同じように暴飲暴食や喫煙などを正さなければ自ら灰色の雲の中に進んでいるようなものだ。
しかも誰もそう簡単に長年共存した悪癖を変えることなどできないと思っているから、今まで経験したことのない勇気や決心が必要になるだろう。

実際それらの悪癖をまったく正す気すらない友人も身近にいたりするが、その持論は「どうせ誰も死ぬのだから少し早くてもポックリ逝けば幸せだ」などと威勢がいい。
だが、その人の幸せ条件もポックリ逝けたらの話しなのだ。

私のようにネガティブで気弱な人間には考えの及ばない所ではあるが、確かに少しくらい早くても苦しまずにポックリ逝けるなら幸せだろうことは共感できる。

まだ40代や50歳前後の頃に、定年後に黄金の人生が存在するであろうことを知っていたなら、もっとうまくその準備ができていたのだろうが、その頃はそんな事を考える余裕すらなかったので目の前に迫ってやっと気が付いたに過ぎない。

60歳から黄金の15年を送れる人には、子どもの心配もなく、親の介護も関係なく、健康でお金があって自分のことだけ考えていればいいといった条件が整った人のことだと言ったが、考え方を変えれば少しくらいその条件にはまっていなくても近づくことはできそうだ。
黄金とまでは行かなくても少しずつ光の方に進むような行動をすればいい。

そうするには今自分が置かれている状況は全て受け入れることからが始まりになる。
病気で悩んでいる人は希望を持って治療に専念することだろうし、苦労しながら親の介護をしている人はきっと後悔のない人生に繋がるだろう。

黄金の15年とは決して贅沢をすることなどではない。
高級レストランで食事をしたり、人もうらやむ車に乗ったり、高級ブランドで着飾ることなどは見栄や自己満足でしかないからだ。

車やお金など何も持っていなくても、健康で打ち込めるものと希望だけ持っていれば黄金の15年を送れると信じたい。
それには先ず打ち込めるものを探し欲を捨てなければならないが、私のような俗人にそのようなことができるのかが一番の問題だ。

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