愚かな自分を振り返った


新しい年を迎えたのを切っ掛けに定年退職前の思いや昨年の経過を振り返ってみた。

60歳の誕生月に近づいたころ、定年後の身の振り方を「1年間は嘱託で会社に残るが、その1年契約が終われば退職するから」と当時勤めていた会社の総務課長に話しをしていた。
総務課長は「そうですか、分かりました」と至極当然のように答えるだけだったのを覚えている。

嘘でもいいから少し驚いた顔で「えっ!そうなんですか?残念ですね」などと言ってほしかったのは、まだ心のどこかに退職を決断した迷いがあり、引き留めて頂ければ考え直してもう1年継続雇用を受け入れてもいいと未練があったからだ。

退職して生活不安はあってもストレスフリーの解放感と後4年雇用して頂だければ今の生活だけは保たれることを天秤に掛けた心の葛藤があり、自ら下した決断に自信が持てなかったのだ。

今思うと「60歳からの最後の人生を心豊かに送るために」とか「せっかくこの世に生を受け、一回しかない人生の最後くらい思うように生きて見たい」といったセリフは、この時の決断を優柔不断な悪癖により覆さないための自分への飴(鞭ではない)であったと言える。
私が今反省していることは定年退職を決断した時、定年退職後の人生をどう過ごすべきかといった志しと言えるものは何一つ持っていなかったことだ。
人生の分岐点で少し楽に歩けそうな道に曲がっただけなのだ。
そのすぐ先に崖があることも見えていながら、「心豊かな人生」と正当化した退職という道を選んで進んだと言っていい。

案の定、ストレスのない何者にも縛られない夢のような暮らしは幻想だと、3ヶ月もせずに気付くことになる。
おぼろげに思い描いていたことなどは1ヶ月もせずに打ち砕かれるばかりか、何の取り柄もない自分に悲観した心の隙間には空虚感が漂い出す。

しかし悪いことばかりではない。
そのように甘い考えだったということも、経験してこそ五感を通して感じることができるのであって退職していなかったとしたら、惰性で65歳までサラリーマンを続けていたことだろう。
果たして65歳になった時、この空虚感から立ち直るだけのエネルギーが残されているだろうかと考えれば、決断を早めた理由として間違いではないといえる。
実際は65歳になってみないとこの決断の答えは出てこないだろうが、正しかったとするためにこの4年という時間を価値のある時間にしなければならないと気付くことができた。
一日一日が終わるとき、「今日はどんな時間を過ごした?」と自分に問いかけるようにしている。「今日過ごした時間は少しでも価値があったのか?」と問いかける。

もう一つ退職して再認識した「心豊かな人生」に近づくための重要な要素が、心身共に健康な体作りだ。
当たり前といわれればそれまでだが、サラリーマンをしているときには分かってはいてもないがしろにしていたと反省している。

退職して半年が過ぎたころ心に空いた隙間からは、持病の悪化が気力の低下を伴って侵入しようとした。
「病は気から」とはこのことだ。
そのような心境では何かを始めることも何かを得ることもできるわけがないと気付き、老化していく体を気遣い、体力を付けることの大切さを思い知る。

私の場合は慢性の鼻炎が悪化し、鼻からはほんの少しの酸素も取り入れることが出来ず、眠るときには次の朝が迎えられないのではないかと思うほど死の恐怖を感じるくらいになっていても、病院に行くのをためらっていたほどだ。
このとき、旅行の予定がなければ病院に行くきっかけを失くしていたかも知れないと思うのは、満更誇張した話しではない。

今、毎日の食事にも気遣いウォーキングなどで体を動かしているのは、少しでも退職前に思い描いた人生に近づきたいからだ。
「簡単には手に入らないと分かったからこそ一歩でも近づきたい人生」、その姿は今も見えてはいない。