60歳過ぎて自由人への道へ
人生に後悔しない生き方があるとすればそれはどんな生き方なのだろう。
60歳過ぎてもこのような疑問を持っていることは恥ずべきことなのだろうか。
自由人とはどんな人のこと?
自由に生きると言っても遊んで暮らしている人が羨ましいのではない。
自分の遣りたいことで生計を立て、忙しくアクティブに行動している人のことだ。
会社に縛られることもない代わりに昼夜曜日を問わず行動していて、生き生きとした笑顔の絶えない人たちと同じように生きるにはどうしたらいいのか。
前回取り上げた女子ゴルフプレーヤーの澁野日向子選手やピアニストの上原ひろみさんのような人は羨ましいが、60歳過ぎてどんなに努力しても叶う目標にはならないだろう。
ただ、そんな人たちに共通する目に見えない基礎となる何かがあるとしたら挑戦する価値は高いと感じている。
自由人として生きることに成功している人との違い
そんな自由人として成功を収めている人との違いはどこにあるのか考えて見ると、意外に内面的なところに存在することが見えてくる。
勿論アスリートなら肉体的な条件やピアニストなど楽器のプレーヤーでも長い期間教室に通ったり楽器を購入するための金銭的余裕が必要だったりするが、それよりも私たちが真似することの難しいのがモチベーションを含む心の制御だ。
継続することの難しさ
私はこのブログでもいつも自分の悪癖は三日坊主だと書いているが、私に限ったことでなないだろう。
一般的に誰にも共通している三日坊主はどんなことでも継続できないことだ。
例え身体に悪影響を及ぼすことが分かっていても、一度依存してしまうと継続することができない禁煙でも言えることだ。
毎日の生活習慣を変えるようなことにしても、継続することが如何に難しいかということは誰でも自覚しているはずだ。
昔から幾度となく聞いている「継続は力なり」という格言は自由人を目指す者にとっていかに重要な要素なのかを再認識しなければならないだろう。
三日坊主では自由人になることは到底不可能だということを肝に銘じなければならない。
自分が作ったルールに従えない
継続力にも通ずるのが、自分で決めたルールを守ることができないという最も基本的なメンタルの弱さだ。
どうも私のような平凡極まりない者と自由人を成功させている人との決定的な違いが自分の作ったルールにあるように感じる。
「今日からは11時までに寝る」というルールの目的は、体調管理のために規則正しい生活を送るためだ。
しかし決めたその日から「眠くないし読みだした本の区切りが悪い」といった理由付けをしてルールを破ることになる。
このような単純極まりないルールすら守ることができないのに、専門的スキルアップを目的とした勉強を毎日2時間するなどといったルールは、自由人を目指すためとはいえどれ程困難なことなのだろうか。
いくら自分で決めたルールとはいえ全てのルールを守るのは至難の業なので、せめて自由人になる目的を関連付けたルールに優先順位を付け上位3項目は決して破らないと宣言するくらいでないとこの目標は達成できないだろう。
そのくらいの覚悟を必要とするルールなら簡単には決められない。
三日で諦めるようなことにはならないか、途中で投げ出すことにはならないかなどよく考えて決めなければならないだろう。
決して簡単ではないルール厳守は自由人を手に入れる最も基本的な条件であることに間違いはなさそうだ。
毎日心を動かす原動力を見つける
今更メンタルの弱さを改善しようにも、60年慣れ親しんだ自分の性分を急に修正するのは至難の業だ。
そこで毎朝、モチベーションアップに効果のあるものに頼ることを思いついた。
それは例えば本の一説であったり偉業を成した人の名言などだ。
時には説得力のある人のブログやユーチューブ動画も有効だが、その中でも今書いているような自分のブログもモチベーションアップに貢献してくれる。
自分の書いたブログに心を動かされると言えばナルシストだと批判的な言葉を返されそうだが、それすらもレバレッジに変えなければ長年身に付いた自分の弱みを改善することはできないからだ。
因みにナルシストとは自己愛性パーソナリティ障害という心理内科的病を意味するそうだ。
私の勝手な妄想かもしれないが、自由人として成功している人は毎日心を動かすのが上手な人たちなのだろうと強く感じることがある。
私が理想とする自由人のほとんどは、単純としか言いようのない反復行動を毎日繰り返した結果なのがその証しだ。
アスリートや音楽家、陶芸家にユーチューバー全ての成功者に共通していることでも間違いはないだろう。
自由人になるコツは毎日心を動かすことにあると言っても過言ではないだろう。
要はどうしたら毎日自分の心を動かせるのか考えることだ。
※共通記事(リフォーム情報ブログ)
標準的常識から外れる困難
憧れの自由人と呼ばれる人たちに共通しているのは、標準的な常識人からは外れていると思われていることだ。
誰もが憧れる自由人が変人扱いされるのも、自分の周りにも見当たらないほど少ない人種だからだ。
変人と思われるほど、常識では理解できない単純行動を繰り返すことが多いのが原因だろう。
自由人を志す目標を邪魔する外的要因も多く立ちはだかる。
それは人の目であったり誘惑だ。
結婚して自分の家族ができると自由人になることは更に困難になる。
それは家族への大きな責任が圧し掛かるからに相違ない。
60歳から目指す自由人への道
60歳を過ぎ最後の人生を憧れの自由人として生きることなどできるのだろうか。
考えようによっては家族の責任などからある程度解放されていることで自由人となる資格があるのかも知れない。
されど体力や気力は若い人と比べ極端に低下しているので、よほどの覚悟と勇気を持って立ち向かうことになりそうだ。
しかし自由人になれない理由を年齢のせいにするのではなく、定年退職したからこそ挑戦できる道だと考えたい。
60歳から自由人として成功したい目的は、高級車に乗りたい訳でも遊んで暮らしたい訳でもない。
アクティブに生き甲斐を持って人生の最後まで生き抜きたいがためなのだ。