違和感に向き合うことが幸せに繋がる・・

Gerhard G.によるPixabayからの画像

やはり違和感は警告の証しと考えなければならないだろう

始めから警告などと書くと大それた内容を連想させるがそうではない。
ただ、違和感をないがしろにしないことが人生を間違わないひとつの教えだと受け取って頂きたいだけだ。
60年以上も人生を送っているとふと気づかされるようなことが何度となく巡ってくるが、それぞれの人が感じるだけで例え家族であろうとそのことを詳しく説明して理解を得るというようなことはしないだろう。
私がこの優柔不断ブログに書き残すのも人様に共感を得たいというより多くは自分への戒めのためだ。

何度かこの「違和感」の意味について書いたこともあるが、意識していないと直ぐに忘れて幾度となく反省しなくてはならないことがおきることに気付く。
多くの違和感は生きていると繰り返し何度も感じる感情だが、そのほとんどは何の対策も原因を探りもしないまま時間が過ぎていく。

違和感の原因を探らずに損をしていること

例えば野菜や果物を栽培している人が「今年は葉の色が何かいつもと違うよう気がする」などと思えばそれは紛れもない違和感だ。
多くの場合は天候のせいにして何もせずに時間が過ぎていくが、それでもほとんどの場合は収穫量にさほど影響もでないままで済んでいる。

だがこれがその畑の作物を全滅させる病気の前兆だとしたらどうだろう。
気付いた時に原因を見つけ対策していたら全滅するほどの損害は出さなくて済んだはずだ。
葉の色がしっくりこない違和感の原因がいつも天候のせいだとも限らないということだ。
もし天候のせいだとしてもその違和感に向き合っていれば品質を上げるヒントを見つける切っ掛けになることもあるだろう。

どんな仕事でも、時にこの違和感をないがしろにしていて大きな損害に繋がることは珍しくはない。
ブログを始めた頃にも書いた記憶があるが、仕事でお世話になっていた工場経営をしている社長は従業員が機械を止める責任を負いたくないことから機械の音に違和感を感じていても言い出すことができないことで毎年数億円の不良品を製造してしまっていると嘆いておられたことを思い出した。

趣味でさえ違和感をひとつずつ潰していくことが上達の道

楽器の練習などはトレーニングによって違和感をひとつずつ潰していくことだと気付いたのは、今趣味にしているドラムの練習からだ。

昔やっていたからと安易に考えて再開したドラムだったが、録音して聞いてみると自分の演奏は違和感だらけだった。
失われていたタイム感や演奏の感覚は容易く戻ってきそうもないが、しっくりこないスティックの動かし方をトレーニングによって掴んでいくことから始めた。

楽器の演奏はほんの少しの違和感も顕著に音となって表れるから分かりやすい。

おそらく勉強であれスポーツであれ同じような違和感とどう向き合うかによって目標に近付くスピードや達成感が変わって来るのだろう。
この違和感をないがしろにしたままトレーニングや勉強をしても理想には近付くこともできないと言うことだ。

衰えていく年齢だからこそ違和感を大切に

60歳も過ぎてからドラムのトレーニングをしても上達する可能性は低いだろうと誰もが考えるだろう。
ドラムに限らずゴルフやスキルアップのための勉強にも言えることだ。
しかしやりたいことをやらずに諦めるより一度はチャレンジしてみるのも悪くはないだろう。

高年齢になれば認知機能だけでなく運動能力や視覚聴覚などの五感も衰え始める。
同年代の人に話しを聞いても「最近車をバックして真っすぐに止めることすら難しくなった」などと言う人もいるが、まさにこれこそが違和感だと言える。

何十年も運転した経験技能も年齢と共に衰えていっていることを自覚する違和感だ。

そんな違和感も疎かにして「車の運転は得意だ」と考えているとニュースで見聞きするような事故に繋がりかねない。

運転に少しでも違和感を感じたなら慣れの運転ではなく、細心の注意や慎重な運転を心掛けなければならないだろう。

シニアと言われる年齢になれば身体的違和感にも敏感になるべきだ。
初期症状がほとんど無いと言われているすい臓がんでも腹痛や腰痛、食欲不振や体重の減少などの前兆があるのだそうだ。
これらもいつもにはない身体的違和感だ。

この違和感を敏感に感じて原因追究のために検査を受ける人と、ないがしろにして「よくある不調だ」と対策を怠る人とでは寿命の差にも影響を及ぼすのは言うまでもない。

生活の中に見過ごされている違和感

違和感は生活の中に多く潜んでいるが、例えば不吉な予感も違和感のひとつだ。
地震の前の今まで聞いたことのない地鳴りや、家を出る時の鍵のかけ忘れなどでも経験する何かしっくりこないいつもとは違う感覚などだ。

もちろん気のせいだということの方が多いかもしれないが、不吉が的中するような違和感だとすれば身構えたり確認することが災難から遠ざかる術に繋がる。

少しでも車の音が変だと違和感を持てば、その場で点検しないと思わぬトラブルに見舞われる可能性も否定できない。

勿論家庭内で起きるほとんどの事故にも原因があり、その前兆に何らかの違和感を感じることは多い。
つまりどんな違和感も予期せぬ不幸の前兆と言っても過言ではないのだ。

しっくりこない感情をすべての災難から逃れる術の要因にするのも無理があるだろうが、あらゆる違和感を意識して生活するだけでも未来が変わる気がしてならない。

更に言えば、ないがしろにされがちな夫婦の関係や会社での人間関係さえも崩れていく前には早くからどこかに違和感を感じているはずなのだ。

何かしっくりこない違和感に気付いた時はその原因を考え、ひとつずつ解決しながら過ごしていこうと思うのは最後の人生を失敗しないために他ならない。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加