昭和平成の常識が令和も常識とは限らない

人生に迷ったら敢えて険しい道を選ぶのも悪くはない

自分は何歳まで生きることができるのだろうと考えた時、男性ならせめて平均寿命の81歳までは女性なら87歳まではと考えるのが普通だろう。
しかし平均が80代というだけで約7万人(内88%は女性)の人が100歳以上生きている。

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60歳から分かれる生き方の特徴

惰性で生きる人が心配するのは老後資金だ。
働く意思はあるが基準にするのは収入で、生活を支える目的を最優先する傾向にある。
したがってできる限りリスクが少ない安定した仕事を選び、体力気力が続く限り働いて収入を得ようと頑張り続ける。

一方楽しんで人生を送ることを優先する人は、惰性ではなく一度立ち止まってどんな風に生きて行くか考えてから仕事を決めている。
この人たちは収入を優先しないので、仕事と趣味や楽しみを区別して考えているのだ。
趣味や楽しみのために働くがそれは決して生活のためではないとハッキリした意思を持っている。

この惰性で生きる人と楽しんで生きようとする人のどちらが正解でどちらが間違っていると言いたい訳ではない。
惰性で生きる人と書いたから何かこれではいけない生き方のようにとられそうだが、言い方を変えれば安定した生き方と言えよう。

逆に楽しんで生きる人生と言えば今でこそ受け入れられそうだが、ひと昔前なら遊び人のようにとられても仕方ない。
昭和平成とサラリーマンで生きてきた人なら、普通はこのリスクの少ない安定人生を望む人が一般的と言えるだろう。

時代は急加速して変化している。

昭和も平成もそれなりに激しく変化した時代ではあった。
1人が1台携帯電話を持つ時代がくるのを1970年代に誰が予想していただろうと考えれば、その変化が著しいことはうかがい知れる。

1990年代ポケベルが流行してからは、サラリーマンはどこにいても逃げ場がなくなり、正に鵜飼の鵜状態であった。

今はというとあらゆる店舗からレジに人がいなくなっている。
今日田舎にあるユニクロへ行くとGUと同じようにセルフレジが導入されていたが、以前レジにいた女性がどうなったのかいらぬ心配をしてしまったほどだ。

どんどん現場から人が消え、それが当たり前の時代がやってくる。
そんなことは誰もが分かっているが、このような時代の変化が現役のサラリーマンにどんな影響を及ぼすのか分かっている人は少ないだろう。

昭和平成で常識だったことが令和でも常識だとは限らないと言うことだ。

サラリーマンがリスクの少ない安定人生と言われる時代が終わる

前にも書いたが着実に売り上げを伸ばしている企業や、就職先としては最も安定していると言われたメガバンク、更には地方の金融機関のサラリーマンが今は最もリスクの高いサラリーマンになっている。

既に若い人はそれに気付き見切りを付けているが、分かっていてもどうすることもできないのが中堅以上の人たちだ。
マーケティングもネットで行われるようになって看板まで必要ない時代に、定年前後の人なら尚更居場所がなくなっても仕方ない。

既に会社で真面目にコツコツ働く時代は終わっているのかも知れない。

働き方改革で企業は定年延長や継続雇用制度を導入しているが、その結果継続雇用制度が企業の負担になっていることは否めない。
その証しは高齢者活躍推進措置としての「60歳以上高齢者のキャリア促進」がほとんど進んでいない状況が物語っている。

要は時代のニーズに対応できる高スキルの人材は年齢に関係なく好条件で働けるが、ほとんどの60歳以上の人材はそれには当てはまらないと言うことだ。
今後継続雇用制度が企業の負担とデータ化されれば、給与変更は更に大きくなり50%未満になることも予測できる。

課題は高齢者のモチベーション

企業で継続雇用制度を受け入れて働く場合でも、職場の環境変化は著しくモチベーション維持は難しい。
若年でマネージメントする側も高齢人材に高いパフォーマンスを要求せざるを得ないが、健康管理を含め成果を上げるのは困難だ。

企業が求める高いパフォーマンスを発揮できる高齢人材なら、何もマネージメントしてもらうことなく自ら新しい仕事を立ち上げても十分成功する可能性の高い人材と言っていい。
返ってその方がモチベーションを下げる要素がないだけに生き生きとした人生に繋がるだろう。

常識にとらわれない人生の選択

今までのように健全な一般人が共通して考えることに同調すると、思いがけないことが起こるとも限らない。
それが思いがけないリストラや不条理な移動であったりする。

常識にとらわれるのではなく、一度じっくりと自分の人生をシュミレーションしてみるのもいいのではないだろうか。
一本の道ではなく2~3本の道をシュミレーションして敢えて険しい道を選択するのも悪くはない。

一番楽な道を選んで途中で思いがけないことに出くわすより、一番険しい道と分かって進む方が意外とすんなり進むことだってあり得るからだ。
楽な道はすんなり歩けて当たり前だから油断もするが、険しいと分かって進む道は慎重に歩こうと努力も惜しまないものだ。

昭和平成の常識が令和の非常識

今後令和が進めば働き方も人々の生き方も何もかもが大きく変わってくるだろう。
高い教育を受けたものがより良い生活ができるとか、精一杯頭や体を使って真面目に働いたものが幸せになれるといった常識はもはや令和では非常識に変わっていたとしても不思議ではない。

既に昭和の時代に非常識と思われるようなことが仕事として成立し、付加価値の高いサービスとして需要を満たしていたりする。
もはや何が正しくて何が誤っているのかさえ不透明な時代だと言ってもいいくらいだ。

故にこれからの人生で悩んだら常識非常識で考えることはやめて、したいこと楽しいことで選んだ方が後悔しないのではないだろうか。
これまでもめまぐるしく変化する時代に流されながら生きて来たのだから、その心得は備わっているだろう。

「もう時代にはついていけない」とか「自分たちの時代は終わった」などと弱気になるのではなく、「まだこれから時代を引っ張っていってやろう」と思うくらいが丁度いいだろう。

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