間違いだらけの終活とは

終活は生きるための活動でなければ意味がない

終活とは人が自らの死を意識して人生の最期を迎えるための準備や、そこに向けた人生の総括などとネガティブな意味にされているが、本来は生きている内に行う活動という意味に理解した方が終活自体も活きてくる。

終活は家族のためではなく自分のため

以前は終活と言えば遺言書を書いたりいらない物を整理したり墓を決めておくとか、何かと残された家族のためにといった意味合いが強かった。

しかし家族のためではなく自分のために行う行為に変えた方がポジティブに捉えることができそうだ。
例えば遺産相続で家族間のトラブルをおこさせないように財産の分配を明確にして遺言書を書くのが終活であったが、少しでも早いうちに自分の財産を明確にして活きた使い道を生きている内に考えるのが終活だと言いたいのだ。
財産がどこにどれだけあるか分からないのに計画的には使えないからだ。

終活をこのように考えれば死ぬ間際では当然遅いということになり、定年前後か自分の親を見送ったらすぐに行動するのが理に適っている。

終活で墓を決めるのは間違い

墓地や墓を決めておくのも終活だというのが一般的だが、本来墓は子孫が先祖を祀るところなのだから、その先祖自身が場所を決めたり祀ったりすることには違和感がある。
先祖を供養するのは先祖のためではなく先祖を供養する自分のためだと考えれば理解できるだろう。

その意味から考えるなら、子孫である子どもたちが自分にとって先祖を一番供養しやすい所に墓地や墓を決めるべきだ。

よく見かける間違いは、自分が生まれ育った数百キロも離れた田舎に自分が死ぬまでに墓地を買って準備する人がいる。
中には墓石まで設置し準備万端にして終活している人も見かけるが、果たしてそれでいいのだろうか。

都市部で生まれ育った子孫が墓参りに何百キロも移動しなければならなくなる。
それでもまだ田舎に兄弟や従兄弟など親しい親族がいる間は、時折雑草の管理などをしてもらえようが、数十年先には誰も行かなくなり管理もしてもらえなくなる可能性が高い。

エンディングノートに詳しく書くと残された家族が困る

墓と同じで葬儀なども残された子孫が子孫自らのために行う供養だ。
例えば残された子どもたちが身内だけで質素に見送りたいなら家族葬でいいだろうし、これからも親と同じように付き合ってほしい思いから一般葬にするのもいいだろう。
全ては自分の意思ではなく残された家族の意思を尊重するのが好ましい。

しかし中にはエンディングノートにお寺や葬儀会社まで記されていることがある。
それどころか葬儀会社に生前予約まで済ませてあったり、喪主への要望や葬儀案内用の友人知人の連絡先まで記されていることもあるが、果たしてそれが残された家族のためと言えるだろうか疑問でしかない。
時に生前予約されてあるのを知らずに他の葬儀会社で執り行い、返って後になって家族の後悔に繋がってしまったといった例も1件や2件ではないようだ。
エンディングノートもこれでは自分のためになっているとも、そうかといって子どもたち子孫のためになったとも言えないだろう。

エンディングノートに思い出話や人生観などを書くことも悪いとは言わないが、それらはあくまでこれから自分が生きて行くためのものにしてほしい。
よくある生きた証しを綴ったとしても、それを見て感慨深く読み返してくれる家族は少ないだろう。
エンディングノートに書くほとんどの内容は自己満足だと言ってもいい。

もしエンディングノートを書くなら死んでからのことではなく、最後の人生を健康でどんな風に生き抜くかといった目標がいいだろう。

家族のことを思って書くなら財産の所在や情報、特にデジタル遺産情報くらいのものだろう。

身の回りの整理こそ自分のための終活

身の回りの整理を終活とする理由が、自分の死後に家族が遺品整理を容易にするためと言われることがある。
それを真に受けるなら身の回りの整理は死ぬまでにゆっくりやればいいことになる。

この身の回りの整理も実は家族のためではなく、自分のためにする方が最後の人生を豊かにすることができる。
終活を最後を迎える準備ではなく、最後の人生を迎える準備と考えれば死ぬまでにゆっくりではなく、少しでも早くしなければならない。
最後の人生に突入する前だから50代から60代ということになるだろう。

終活は死の準備ではなく最後の人生を始める準備

終活という言葉は、就活の類推によってできた造語で昔から存在したわけではない。
しかも最後の人生を幸せに過ごせるように願ったものなのは間違いない。
それなのに葬式はどうするとか、人生の終わりがどうのといったネガティブなイメージを先行させ残された家族のためと理由付けさせているのは、死に関わるビジネスに繋げようとしたところが大きいのではないかとさえ思えてしまう。

そんなネガティブイメージが先行した終活を「できるだけ早くしましょう」と言っても無理があるのは、終活を意識する年代が70代から80代なのを見れば明らかだ。
健康な50代や60代の人がエンディングノートや葬儀、墓の準備と言われてもピンとこないのは基よりまだまだ先の話しと思うことの方が一般的だ。

それよりも終活が最後の人生を始める準備であるなら、ポジティブに健康で生きることが連想されるのではないだろうか。