サラリーマンと経営者の責任と矛盾

2~3日でいいからこんな楽園で過ごしてみたいものだ

サラリーマンの矛盾

サラリーマン時代の管理職を頂いていた頃、半期ごとの賞与査定前に部下に面談して点数を付けると言った仕事があった。
私はいつも本人の自己査定より甘い点数を付けるように心掛けていたが、最終的には経営者まで回る書類なので、不自然さをなくすため結構気を遣っていた。

そんな面談で若い社員に質問をする機会を頂いていたが、仕事や会社の質問内容にはいつも矛盾と疑問を持っていたので、そのまま部下にぶつけてみた。
「会社は誰の物だと思う」と聞くと「その会社で働く人、全ての物でしょう」と答えが返って来た。
「じゃあ、なぜそう思う」と聞くと「皆で働いて得た利益を分配しているから」と言う。
「利益の配分はどのようにして決められていると思う」と質問すれば「利益に対する貢献度なのでは」と答えが返ってきた。

この答が本心からそう思っているなら会社にとっては素晴らしい献身的な精神を持つ社員なのだろうし、本心でないなら世渡り上手なサラリーマンの見本となるような人なのだろうと感じたのは、どうしても素直になれない私の性分なのだろう。

私の考え方を人に強要するつもりもなく、正しいとも思ってはいないが、そんな質問をしたので自分の考えを伝えておいた。
「会社は株主の物で私の物でもあなたの物でもないだろうし、給料は利益の正当な分配ではなく、その会社での責任の重さだと思っている」
「責任とは経営者が求める企業を維持するための責めだと考えている」
「だから出世したければ今よりもっと責任を持てばいいし、割に合わないと思うなら自分の給料分だけ責任を持てばいいだろう」「それがサラリーマンなのだから」

前向きに頑張ろうとしている若い社員に対する言葉ではなかったかも知れないが、きれいごとだけではそのうち大きな壁に塞がれた時、安易な選択をしてほしくないと思ったからだ。
その若い社員にも家族があり、その家族の責任だけは放棄することができないので会社でのリスクは少ない方がいい。

サラリーマンでいる最大の理由が、少ないリスクで安定したお金を稼ぐ手段なのに、自分の持ち物でもない会社で大きなリスクを負うのは意に反することだからだ。
特に日常の仕事よりも、上司や経営者との人間関係の方がそのリスクは高いということを知っておくべきだ。
いくら仕事に情熱を燃やそうとも上司や経営者に逆らってはならない。
サラリーマンでいる以上、自分の個性はあまり出さずにその会社で静かに流されていればいいのだ。

どの会社でも大きな失敗をせずに、それなりの成績を残していけば役職も上がり責任も大きくなるが、その責任の大きさに比例して給料も上がるとは限らないので実際は給料分だけ責任を感じればいいことになる。
課長や部長といった肩書は会社の責任分担を自覚させるためのもので、決して人間的優劣を表したものではないのだから。
そのような意味では、自分の意思が強い人や個性の強い人、失敗を恐れず苦難に正面から立ち向かっていけるような人はサラリーマンには向いていない。
そんな屈強な人が会社を去っていった姿は、長年のサラリーマン人生で何度も目にしている。
経営者側の立場としては、そんな考え方では会社を伸ばすことができないと考えるので、給料以上の責任を隅々まで行き渡らせようとするから矛盾が生じてくる。
新しい事業に挑戦したくても、その責任を取れる人がいない会社は後手後手に廻り会社を伸ばすことができないのが実情だろう。
いくらいいアイデアがあって実行できる力があっても、責任を取れないから提案もしないのがサラリーマンなのだ。

それでも会社を維持できている内はいいが、古い体質を脱皮して現在の時代に合った会社に変えて行かないといつまでも続けることさえもできないだろう。
実際中堅以上のサラリーマンは「何とか自分が定年退職するまで今の会社があればいい」と考えているのだ。

企業にとって次の時代へと生き延び、業績を伸ばし続けようとするなら、そのエレメントとなるのは人であり、その人を大切にしようとする社風を築かないと成り立たなくなってくる。
働き方改革で見えるように、上の者が下の者に気を遣い、休みを増やして毎日楽しく仕事をして頂けるように考える時代が来ているのだ。

このように書けば、サラリーマンにとっても企業にとってもネガティブな思考として捉えられそうだが、そのうちサラリーマンがサラリーマンでなくなる時代が来ると予測している人もいる。
毎日出社することもないので通勤がなくなり、出勤がなくなればオフィスも必要ないので経費も掛からない。
現場で働く人は極限まで減ってくるだろうし、営業職がなくなる可能性も少なくない。
時間にも会社にも縛られないが仕事は楽しみながらできる時代が来れば、それはもうサラリーマンと呼ばれた人は過去のものとなる。

極端ではあるが、まんざらありえない話しではないだろう。

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