マウンティングおじさんのどこが悪い!

シニアは自分を変えてまで世間にいい顔をする必要はない

「マウンティングおじさん」とか「マウンティングシニア」いう言葉があるようだ。
マウンティングとは動物が優位性を誇示するために相手に馬乗りになる行為だ。

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マウンティングおじさんの自覚はない

会社でも世間でも自分の立場を誇示したり、相手より上だと自分の方が優れていることをアピールするシニアのことをマウンティングおじさんと呼び、人に嫌われる代名詞とされている。

定年退職して地域のイベントに参加したときなど、せっかく若い人と交わる機会があってもついつい説教じみた話しをしてしまうことはよくあることだ。
なにも嫌われようとしている訳でもないが、長年会社で身についてしまった性質なので自然に出てしまう振る舞いなのだ。

他人から見ればれっきとしたマウンティング行為も、本人からすれば相手より優位に立ちたいとか自分の方が優秀だとアピールしたくて行っている行為ではない場合がほとんどだ。

故意で行っているマウンティング行為なら直しようがあるが、自覚のないマウンティング行為は直しようがない。
自覚のないマウンティングシニアは過去の栄光から抜け出すことができず、定年退職後も組織や看板を引きずって生きている人たちだと言われることが多いが、決してそうではなく気持ちも区切りをつけて退職している人がほとんどだ。

マウンティングおじさんと嫌われている人は昔から持っている性分で、定年退職したからといって変わることなどあり得ないのだ。

マウンティングを冒さない対策はない

60年も生きていれば誰にでも自慢したいことや褒められれば嬉しくなるようなことの一つや二つはあるだろう。
だがそれらは全てマウンティングのネタになってしまう。
親身になって相手のことを考え、参考になるだろうと思って発する言葉などは相手からすれば全てマウンティングに他ならない。

それが例え相手の愚痴に対して勇気付けるような言葉であってもだ。
相手が「今仕事で悩んでいます」と言うから「私も経験あるけど努力すれば必ず道は開けるよ」と素直に励ましたつもりが、「私は何度も仕事で窮地に立たされたがいつも解決してきたしその能力もあるよ」と言いたいのかと受け取られればマウンティングおじさんになってしまう。

マウンティングとは相手がどう感じるかなので、例え嫌われたくなくても防ぎようがない。
元々は「マウンティング女子」という言葉が先行し、自慢したがりのうざい女性に付けられた言葉だ。

マウンティングの代表作

大手ゼネコンのCMで同級会の誘いにラインで返事を送る場面がある。
「ごめん、同級会には行けません。いま、シンガポールにいます。この国を南北に縦断する地下鉄を私は作っています。本当はあの頃が恋しいけれど、でも今はもう少しだけ知らない振りをします。私の作るこの地下鉄もきっといつか誰かの青春を乗せるから」

このCMほどマウンティングの説明に最たるものはないほどピッタリ当てはまる。
どこまでが返事なのか微妙なところもあるが、おそらく「地下鉄を私は作っています」までは返信の文章だろうと受け取ることもできる。

同級会の案内を送った同級生にしてみれば「すみません今回は欠席します」だけでいいのに、「私はあなたと違ってシンガポールで仕事をしていて忙しいの」と自慢し、更に「今は大きなプロジェクトに携わっていてあなた達のように暇ではないの」ともとれる内容だ。
正にマウンティング代表作と言ってもいいくらいだ。

同級会の会場でこの返事を受け取った人は他の女子に「この前この同級会の案内をしてマウンティングされたの」と会話をしている声が聞こえてきそうだ。

確かにマウンティングと受け取る人は何でもひがみ根性で受け取ればこのようになってはしまうが、そんなひがみ根性を差し引いてもこのCMはマウンティングと受け取られても仕方のないレベルだ。

本来このCMのようにマウンティングとは同級生のように上下関係の付けられない関係のコミュニケーションに於いて優位性を示そうとする行為のことだが、今や部下と上司や親子ほどの年齢差でもマウンティング扱いされているのが実情だ。

マウンティングを気にすることはない

どうもマウンティングとは話しを聞く人のひがみ意識の方が問題なのではないかと思えてならない。
世間では「マウンティングおじさんに気を付けよう」とか「マウンティングシニアにならないために」、「退職してからも嫌われるマウンティングおじさん」などと何でもかんでもシニアのおじさんが悪いと取れるタイトルを多く見かけるが、私に言わせれば嫌われるくらいが丁度いい。

私のように優柔不断八方美人はうまく立ち回って嫌われることも少ないが、本音は嫌われるくらいハッキリ意見を言える人が羨ましいと思っているのだ。
そんな定年退職したおじさんは地域でもリーダーになって活躍するだけのエネルギーを携えている。

「自分の考えることや思っていることを言葉にして何が悪い」と開き直っていればいいのだ。
本来マウンティングとは哺乳動物の本能なのだから、変えろと言う方がどうにかしている。

特に60歳を過ぎてそれなりに多くを経験した人生の先輩は敬われることはあってもマウンティングおじさん呼ばわりされることもあるまい。

どうも世間ではマウンティング被害者が急増しているようだが、ひがみ妄想の割合がどれだけを占めているのか知りたいところだ。

マウンティングおじさんという言葉を恐れず、自分の思うままに生きる人生を選びたいものだ。

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