サラリーマンに生涯現役はあるのか?

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生涯現役は仕事だけに捕らわれることではない

生涯現役とは生涯健康で働き続けるといった意味合いを想像するが、それだけではなく生き生きと満たされた心で人生を最後まで謳歌するといった意味も含まれている。
しかしサラリーマンに定年がある以上、人生の最後まで生き生きと働き続けるのは難しいだろう。
現在多くの企業では、60歳定年で雇用延長が5年という設定ではないだろうか。
このままでは多くの人が65歳になった時点で仕事を辞め、年金生活に突入するのは避けられない。
だがその後はどうだろう?
厚生労働省のデータでは健康寿命の全国平均が男性で72歳、女性が74歳(平成28年)だが、サラリーマンが生涯現役を貫こうと思うと65歳からまだ先が残されていると言うことだ。
先ずは健康でいなければならないのは言うまでもないが、果たして65歳で会社を退職した後、生涯現役と言える人生は待っているのだろうか。

人によっては60歳を過ぎて雇用延長で嘱託勤務になった途端に意欲は無くなり、仕事に充実感を見い出せずにただただお金を稼ぐだけの手段になってはいないだろうか。
それでも65歳まで仕事によって心が満たされているならそれでいいが、その後も人生は続くのに退職しなければならない現実が待ち受けているのだ。

そしてサラリーマンにとっての仕事とは、仕方なく金儲けの手段として続けていることであって、心の支えではなく生活不安の解消でしかないと思えるが、結局は生涯現役の意味からも外れかねないのが現状ではないのか。

そんな思いで雇用延長を受け入れている人の心の中には、いつも本音と建て前を持っているのではないだろうか。
65歳になって退職しても健康で生涯現役を貫きたいから、シルバー人材センターや軽微な労働で働き続けるなどと言うのは決して本音ではないだろう。
本音は老後の生活資金に不安もあり、きつい労働はしたくないし他にすることもないので仕方なく働いていると言うことだろう。

理想の生涯現役とは

理想は生涯健康で毎日仕事であれボランティアであれ、生き生きと人のために役立つことをし、心が満たされて最後は苦しまずにポックリ逝くことだ。
誰もそうありたいが、そんな理想の生涯を送れる人は数少ないのだろう。

なぜ理想の生涯を送ることが難しいのか考えると、過去の経験や将来の不安から連想する不満や負の感情が邪魔をしていると考えて間違いないのではないだろうか。
負の感情とは恨み、嫉み、怨嗟、憎悪、自棄、破壊衝動などだが、それに加え見栄や欲が生き生きとした心豊かな人生の邪魔をするのもおそらく誰もが気付いていることなのだろう。

これらの感情の中でも特に不満や自棄、見栄や欲はいつも意識していないと、弱った心の隙間から侵入しようと、まるで病魔のウイルスのように気付かないうちに忍び寄ってくる。

サラリーマンで人生のほとんどを生きた人が最後まで生涯現役を貫こうとするなら、60歳過ぎてからの最後の人生を如何にして健康で生き生きと満たさてた心で過ごすことができるのか考えておかねばならないだろう。

サラリーマン時代からの脱却

サラリーマン時代は会社や組織の一部として過ごした結果、自分の考えや思いが通らず幾度となく妥協した経験が諦め癖となって身についている。
先ずはそのようなサラリーマン特有の悪癖から脱却し、志を高く保って付き進むことが重要だろうが容易くはないだろう。

長年のサラリーマン癖は生涯現役の障害に成りかねないが、何十年も培った経験は生涯現役を成し遂げるための要素としては不可欠な財産と言える。
その経験を基に、ただ老後の資金不足のための仕事ではなく、生涯現役人生を全うするために奮闘したい。

なぜ生涯現役を意識するのか

この歳になってやっとサラリーマンを卒業したのだから、家族への責任のためだとか老後の資金不安のためと言った理由ではなく最後の人生を謳歌したいというのが本音だ。
しかし実際、今その位置に立つと、迷いや不安が付きまとい思うようにいかない壁に遮られる。
その迷いや不安に惑わされないようにするため、このような言葉で自分を勇気付けなければならないが、それほど弱い心の持った自分を自覚していると言わざるを得ないのだ。

退職して時間ばかりが過ぎ、変化の見えない自分の姿に苛立ち焦る心理的葛藤に負けないために生涯現役を意識したいのだ。