シニアの片付け人生は幸せになるコツでもある
終活と片付けを紐づけた場合、どうしても「子どもたちのために後を濁さず」のような考え方になってしまうが、そうではなく自分たちの人生を楽しくするために片付けをしてほしい。
私も定年を迎えるころは家にある不要な物は、死ぬまでに少しずつ片付ければいいと考えていた。
私の家は昔からある田舎の家屋ということもあって、とにかくあちこちにいらない物で溢れているが、それは私の家に限った事ではなく田舎では多少の違いはあれどどこも同じようなものだろう。
そして子育てが終わって子どもが自立した後も、子育ての痕跡が多くの物として残っていたりするが、それらは都市部に住んでおられる方々にも当てはまるのではないだろうか。
1. 片付けるとは方を付けること
2. 人生を豊かにするために片付ける
3. 子育てに決着をつける
4. 古い物を新しい物へと蘇らせる
5. 過去との決別
1. 片付けるとは方を付けること
片付けるとは整理するという意味なのだそうだが、方を付けることだと解釈している。
方を付けるとは「決着をつける」という意味だが、決着がついていないから物が溢れているといってもいい。
それは過去のことを引きずって生活していることになり、最後の人生を身軽にして心豊かに楽しく過ごしたいなら、それらの過去とは決着をつけ決別しなければならないと悟ることだ。
2. 人生を豊かにするために片付ける
「先祖を敬うのは決して先祖のためなどではなく自分のため」なのと同じで、いらない物を処分して片付けるのも後に残された子どもたちのためではなく、まだ少し残された自分の人生のためだと気付いたのだ。
そう考えると「死ぬまでに片付ければいい」のではなく、少しでも早く片付けないと最後の人生にも影響を与えることになる。
身のまわりを綺麗に片付けることで心の中も綺麗になり、スッキリと片付いた気持ちの中にゆとりが生まれる。
そのゆとりが少しでも世間の人のためにとつながれば、いい意味でまた自分の心にフィードバックされる。
そして片付けの大変さを知れば今度は不用意に物を買わなくなったり物に執着しなくなると思うのだ。
そうすることで今使っている物は大切に扱い、手入れも惜しまないようになる。
3. 子育てに決着をつける
3人の子どもたちは学生生活をアパートで送ったため、最低限の生活道具をそろえることになったが、卒業して引っ越すときは時間がなくその場で処分せずにとりあえず我が家に持って帰ってしまった。
そういった物が所狭しと溢れているのは、田舎で倉庫や納屋があり置く場所があるが故の失敗と言える。
洗濯機や冷蔵庫はその時なら5年未満の中古品としてリサイクルショップでも引き取って頂けただろうが、時が経つのは早くあっという間に倉庫の中で数年が過ぎると、今度はお金を支払ってリサイクル法に基づき処分しなくてはならなくなってしまう。
私の家にはまだ洗濯機が2台とパイプベッドが2台、ハンガーラックが3台、大きめの収納ボックスが3個などかさばる物で倉庫が埋め尽くされている状況が続いている。
それに加え漫画を始めとする書物も山のように積み上げてあるが、当の本人たちに「いるものかいらないものか判断しろ」と迫っても「とりあえず置いておいて」としか返事を返してこない。
これではいつまでたっても埒が明かないので、強硬に判断を迫ることにした。
期限を決め、「それまでに取りに来なければ処分する」と通告し、写真を撮ってラインで送る作戦にでたのだ。
他にも三人の子育ての痕跡は2段ベッドに始まり、小学生の頃に書いた絵や工作物は収納の奥で眠っていたが、小学校を卒業して20年近く過ぎた今まで取り出して思い出に浸ったことなど一度もない。
それらも既に写真に撮ってデジタル化し処分したが、これでやっと子育てが終了し、次の段階へ進めた気がした。
子どもに関わる物を処分することは、正しく子育てに方を付ける(決着をつける)ことなのだ。
4. 古い物を新しい物へと蘇らせる
何でもかんでも捨てることが善だと言っているのではない。
時には古い物でも今の時代に蘇らせることもできる。
想像すれば心を癒す物に生まれ変わり生活に潤いを与えることができる。
例えば昔からある骨董品や親の代から受け継いだ絵画など捨てるに捨てられない物は、一度箱から出してその価値を見極め、興味のない物なら蔵の奥に戻すのではなく売却すればいいし、そうでないなら箱の中に納めるのではなく生活の中に溶け込むように工夫してディスプレーするのがいいだろう。
倉庫や蔵の奥に何十年も忘れ去られたように眠っている物は、価値がないのと同じだが記憶の隅に少しでもあれば返って自由を妨げ負担になる物となってしまう。
例えば祖父が大切にしていた焼き物を蔵の奥にしまっているとするなら、「盗難に遭わないか」「ネズミの巣になっていないか」「棚から落ちて割れてはいないか」など心配の種にはなっても何一つ心の支えにはなっていない。
それなら箱から出して目に付くところに飾れば、その芸術的価値を見出すことになり心に刺激を与えてくれるかも知れない。
その物が如何に古い時代に作られた物であったとしても、箱から取り出すことで自分にとって新しく価値のある物へと生まれ変わらせることができたと言っていい。
とにかく蔵の奥で眠っている価値ある物は、その価値も消えたリスクしかない負の財産と考えることだ。
※参考記事
5. 過去との決別
洋服も食器も写真も本も靴も日記も全ての物は、それが過去の物なのか現在の物なのかに仕分けすることが肝心だ。
一年以上も目にしたこともなく忘れているものは、それがどんなに高価な商品であっても思い出深い物であったとしても過去のものとしか言いようがない。
毎日の生活の中に生きている現在の物としたいなら目に触れるところに置いておかなければ価値はない。
書籍や日記なら本棚に並べていつでも手に取れるようにしておくことに意味があるのであって、段ボール箱にしまわれた物は忘れ去られた過去の物として処分するのだ。
自分にとっては価値が無くても人にとって価値がありそうなものは売却してでも処分するほうが価値は高い。
そうして過去の物に決着をつけお別れしてこそ心に余裕を与え潤った未来を作ることができると信じたい。
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