本当に人生はバクチなのか?
60歳になって人生について考える機会が多くなった。
このようなブログを書いているから人様より多くを考えるのかも知れない。
過ぎ去った60年は夢か誠か、記憶にあるのはほんの少しだけで、そのほとんどは記憶にすら残っていない。
生まれた境遇も育った環境もさほど恵まれたものではなかったと思うが、これまで普通に生きてこれたのが幸せと言えるのかも知れない。
それを支えてくれた回りの人たちに感謝の気持ちが強くなるのも歳のせいなのだろうか。
今の自分は過去の行動の上に成り立っているのだろうが、さほど自慢できるような物が残っていないのはその行動が不足がちだったことを物語っているような気がする。
この先の行動によっては今あるものをキープするだけでも難しくなる可能性があることを分かっている。
「人生はバクチだ」という人もいるが、そうではないと言う理由も見つからない。
人との出会いもそうだが、度々訪れる決断を迫られた時や、事を起こすときはいつもリスクを避けてきた。
その時々で勇気と自信を持てる力が備わっていたら、もう少し変わっていたのかも知れない。
バクチに例えるとそれがたとえジャンケンのような単純なゲームであっても
お金と言うリスクが大きくなるほど、勝敗の理由が明らかになってくると言う。
そこには技術や知識は3割でメンタルが7割と言う勝負事の公式が当てはまってくるのだそうだ。
ジャンケンをするときリスクが大きい程、メンタルの弱い人がパーを出す確率が下がってくる。
握っている拳の5本の指を広げる行動に勇気がいるからだ。
広げずにそのままグーを出す方が楽なのだ。
勝てる人は相手の仕草や挙動を見てメンタルを読み戦略を立てるから勝つことができると言える。
例えがおかしな方向に行ってしまったが、「人生もバクチも根拠ある戦略を立て、そのための行動を確実に実行していかないと勝つことができない」と何かの書籍で読んだことがある。
心豊かな人生と言う未来の目標に向かって戦略を立て、そのための行動を実践していくことで結果に差が出てくると考えているが、心豊かな人生と言った抽象的な目標も具体化しないと戦略の立てようがない。
自分にとって何が心豊かな人生と言えるのかを紐解き、一つずつ箇条書きにして肌身離さず持っている手帳に貼り付けておけば、進路を見失うことがなくなるのではないか。
考えたことは今すぐ行動し、実践するほかない。
修正はいつでも可能だ。
実践60歳からの人生設計はまだイントロが始まったばかりだ。