言葉の重みで決意を固める
年も明け抱負を発表する機会が多い時期になった。
少し調べると抱負とは「目標を掲げその責任を背負う」と言ったような少し重苦しい意味を含んでいるようだ。
例に漏れず私の会社でも今年の抱負を発表したが、昨年までとは明らかに違う言葉の重みを感じた。
昨年までならこの新年の抱負発表に、意味や重みなど感じたこともなく、行事化された発表を難なくやり過ごすだけのものであった。
しかし今年は自分にとっての岐路であり、約束された将来がなくなる年になると自覚しているからだ。
前回の「人生とは夢かバクチかそれとも・・」でも触れたが、現状の不満が過去の行動の証しだとしたら、未来の人生は今の行動によって左右されると言うことになる。
それなら今できること、しておかなければならないことがあるはずだ。
抱負発表で「今年は新しいことに挑戦しようと思う」などと、抽象的な言葉を発したが、心の中では具体的な目標をたてている。
抱負と言うたった二文字の中にも、その時おかれた境遇によってその重みにこれだけ違いを感じるものなのだと言うことを知った。
考えてみれば今までは流れに身を任すだけの人生だったのかも知れない。
将来の夢を実現するために目標を持ち、その目標を成し遂げるために戦略を立て実践する。
その全ては行動にあると、実感できるようになったことが昨年の成果だ。
今年の抱負を語る上で欠かすことができないのが今までの反省だと考えている。
それは反省なくして行動を変えることなど有り得ないと思っているからだが、過去を振り返ると反省しなければならないことの多さに愕然としてしまう。
決断できなかった行動や、決意したにも関わらず継続できなかった行動、判断を誤った行動や遅すぎた行動などだ。
その全てを改めることなど至難の技なのかも知れないが、「人はいつからでも変わることができる」という言葉を胸に刻み、今年を変えてみたい。
目標を達成するための決断や行動に自信や根拠となるものを持っていないと、決心も揺らぎ優柔不断な悪癖が出てしまう。
何度も何度も自問自答する日々が続いているが、後に引けない事実を作るために、自分を追い込み自ら崖の渕に立とうとしている。
抱負の二文字にエネルギーを与え、抱負の二文字に力を感じるようにしたい。
人それぞれだとは思うが、この二文字にもそれだけの重みを持たすことができるのではないだろうか。
そしてその言葉にすがるしか、今の私に頼るものが存在しないのだ。
大げさかも知れないが、これが今の私なのだ。