音楽は感情を刺激する

子どもの頃から、私のそばには音楽にまつわる物語があった。
一人っ子だった私は、ラジオから流れる聞いたこともないノイズ交じりの曲に、寂しさを紛らわせて育ったのだ。
当時は外国の事など何も知らなかったが、いろんな国の民謡を聴いて、その国の情景を想像するのが唯一の楽しみだった。

今でもロシア民謡を聴けば、日が沈んで雪が積もった草原の向こうに、オレンジ色のともし火が窓からこぼれている情景が浮かんでくる。
寒そうで寂しい風景の中に、ほんのりと見える小さな温もりを、心穏やかに感じ取ることができるのだ。

音楽も小説も絵画も心を豊かにしてくれる

小説も読んだ時、頭の中で情景や物語を思い描くが、一枚の絵画の中にも人はストーリーを作り出そうとする。
音楽も小説も絵画も想像に満ち溢れ、感情を刺激する。
小説を先に読んだ後、映画化されたものを見た時、なぜか期待外れだったことはないだろうか。
それは想像で得た記憶が、自分にとって最も素晴らしい思い出になっていたからに違いない。

内田康夫さんの戸隠伝説・・とか高千穂伝説・・などを読んだ時、行ったこともないのに静寂で神秘的な風景が心に描写された記憶がある。
シベリウスのフィンランディアを聴けば、フィンランドの情景に加え歴史までも感じることができる。
ヘンデルのオンブラマイフは、何故か昔懐かしい幼いころの情景が蘇ってくるのだ。

ブログを書きながら気づいたこと

今この記事を書いていて、前々回書いたバーチャル旅行記事の真逆だと気付いた。
人は何も知らない方が想像力が働くし、刺激的な日々を送れるのかも知れない。
今はテレビやネットに頭がおかされているのではないか。
テレビに毒されるとか、情報化社会の悪影響とはこういったことなのだろう。

少年期には、音楽を聴いて何度も心を揺さぶられた記憶があるのに、最近はそこまでの刺激がない。
その原因を歳のせいにしていたが、そうではなく頭の中に何でもかんでも詰めすぎたせいなのかも知れないと気付かされた。
子供の頃の想像するネタは、青空に浮かぶ雲で十分物足りたはずだ。

これからもそばに音楽を

以前ドラムをしていた頃、会場が同じ空気に包まれていくのを瞬時に感じたことがある。
いつもなら客席とステージに温度差を感じるが、そんな日は何かが違った。
プロではないので稀ではあるが、嫌な緊張もなく表現したい通りに筋肉も動いた。
その時の鳥肌が立つような感動を忘れることはできない。

これからも音楽に触れるとき、さほどでもない知識や屁理屈をかなぐり捨て、真っ白な状態で向かう方が新鮮な刺激に出会えるような気がする。
退職したら趣味で作詞作曲や編曲なども試みようと考えているので、気持ちを新たに謙虚な姿勢で取り組もうと思う。
人生の最後まで音楽をそばに置いておきたい。

広告