61歳の早めの退職で正解だったと感じること、間違ったと感じること

定年退職年齢早めがいい訳は?

サラリーマン定年退職年齢の正解はあるのか!

サラリーマンなら遅かれ早かれやってくるのが定年退職だ。
私の場合は60歳で定年になり雇用延長制度を1年間だけ受け入れ61歳で退職したが、それから早くも2年が過ぎた。
今だから言える早めの退職が正しかったと思えることや、間違っていたと感じる本音を打ち明ける。

早めに退職をした動機と不安

もちろん4年間の雇用延長を残しての退職には悩みもあった。
我々の年代(男性昭和30年4月2日~昭和32年4月1日生まれ)が満額受給できるのは65歳で報酬比例部分の引き上げ受給も62歳からだ。
その報酬比例部分も生活が賄える金額には程遠いのは最初から分かっていた。

つまり収入が極端に減ることによる埋め合わせは貯蓄の切り崩しを意味するので、今までと同じようには生活をすることができなくなると言うことだ。
もし雇用延長を65歳になるまで受け入れて働いたとしたなら、給与は減るものの貯蓄の切り崩しはしなくても何とか最低の生活を賄える程度の収入にはなるのだ。

私の周りでも雇用延長制度を最大限受け入れて会社に残る選択をされている人がほとんどだが、敢えて早めの退職を決断したのには自分なりの動機があったからだ。

・早めの退職動機となった理由
早かれ遅かれ65歳になれば確実に退職しなければならないが、その後の人生をこの段階(61歳)で想像することができなかったのがひとつの理由だ。
周囲の人は65歳退職後に農業やシルバー人材センター、アルバイトなどで働き、生き甲斐や生活の糧としておられるが、自分にはどうしてもその未来に自信が持てないと感じた。

先ず農家に生まれ育ったとはいえ正直に言うと農作業自体が好きではない。
そして人生のほとんどを営業職で過ごしたこともあり、シルバー人材センターやアルバイトで収入を得るための体力や能力に自信がない。

それなら61歳から65歳までの4年間を使って65歳からの自分に合った人生を見つけるのはどうだろうと考えたのだ。

・二つの4年間を天秤に掛けた本音
61歳の段階で退職を選ばず雇用延長制度を受け入れた場合、65歳までの4年間は仕事に於いての責任ストレスは解消されることはないが何はともあれ生活資金の不安は伴わないだろう。

その一方で61歳で契約更新せずに退職の道を選んだ場合は、組織に縛られることのない自由を手に入れることができる変わりに将来の生活資金不安は増すことになる。
この場合、自由が手に入るもののお金のない不自由が待ち受けているとも言えなくはない。

そしてこの分岐点で進むべき道標となる基準は何なのかと考えた。
「取りあえず楽な道は」「障害のない道は」「未来が明るい道は」「悔いのない人生に繋がる道は」などだ。
もちろん答えなどどこにもないことは分かっているが、それでもヒントに人の意見も参考になればと伺ってみた。

65歳で退職された先輩には「雇用延長で5年間働けるだけでも幸せだと思わないといけない」「その5年間に得られる給与の合計は決して少ないとは言えない金額だ」などとごもっともなご意見を賜った。
また今でも継続雇用で働いている方からは「退職という目先の自由が楽な道に見えていないか」と働くのは辛いが頑張って働くのが正解だと喝破ともとれるご意見を頂いた。

できれば雇用延長を受け入れないで退職された人の意見も聞きたかったが、私の周りには見当たらず伺うことは叶わなかった。

これらのご意見も勘案して判断したと言いたいが、実際はそれまでの時点に61歳で退職する方に天秤が傾いていたというのが本音だ。

4年早く退職して正解だったと思うこと

実は退職して2年経過した今でも「早く退職して正解だった」と言えることはほとんどない。
将来の金銭不安が解消されていないのは勿論だが、65歳からの未来も未だに見えてはいないからだ。

「何かしていないと自由な時間を持て余してしまうのではないか」とか「やることがなければ1日は長く感じるだろう」と想像していたが、毎日が過ぎていくのはサラリーマンをしていた頃より更に早くなったと感じる。
日々どうでもやらなければならないことがある訳でもなく、ましてややることを考えておかないと何もせずに1日が過ぎていくにも関わらずだ。

かと言って意義深い日ばかりを過ごしている訳でも、何もせずに時間が過ぎるのを待っている訳でもない。
家に居ればそれなりにやることもあるが、会社に出勤していた頃と比べれば趣味に使う時間が大幅に増えたことや、自分のことで考える時間が多くなったくらいだ。
時間の使い方など反省しなければならないことは多いが、取りあえずストレスフリーで穏やかに過ごせていることに関しては正解だったのだろう。

雇用延長での働き方で個人差も大きいだろうと感じるのは、仕事でのストレスの度合いだ。
60歳定年後に仕事での責任も少なく気楽に勤めることができる人や、責任は大きくても遣り甲斐が大きいと感じる人は退職の理由もないだろうが、責任などのストレスが負担に感じる人には退職の選択をお勧めできる。

60歳という年齢は健康面でも急にリスクが大きくなる折れ点だと言われることから、大きなストレスはいずれ発症するであろう病の引き金にもなりかねないからだ。
私の場合は今のところ「ストレスがないのがストレスだ」と気楽なことを言いたくなるほど穏やかではある。

雇用延長を残して早く退職したのは間違いだったのか

間違ったと結論付けるのにはまだ早いだろうが、65歳になった段階である程度の答えを出すことはできるだろう。

私の場合は65歳になった時点で老後の金銭不安が更に増していたり、遣り甲斐を感じることに携わっていなかった時は早期退職が間違っていたと言えるのかも知れない。

そのことが正に今の反省点であるのも間違いない。
「この2年間何をしていたのだろう」「これからの2年間何をやればいいのだろう」と反省するしかない。

つまりこれからの2年間の行動が早期退職の正誤を決定付けるのだ。
そしてその正誤とはあくまでも主観的な結果でもある。

主観的な結果とは65歳時点で、老後の金銭的不安がなくなるほど収入に繋がる何かを見つけることではなく、自分なりに贅沢しなくても心豊かに暮らせる術が身についている状況を想像している。

おそらくこれからの2年間も、今までの2年間と同じように瞬きをするほどに短いと自覚しなければならない。

サラリーマンを人より早く辞めて誤算だったのは、社会との繋がりがこれほど極端に切れるとは考えていなかったことだ。
当然人とのご縁は徐々に薄くなるとは考えていたが、想像を遥かに超えてプツリと途絶えた感覚が強い。

同時に継続して打ち込める人生最後のライフワークを安易に考えていたことにも気付くことになった。

退職の日はサラリーマンなら誰にも来る

最近は「定年制度がなくなった」とか「延長雇用が70歳まで延長されるようになった」という話しを聞くことが増えてきた。
厚生労働省も「人生100年時代を見据えた経済社会システムを作り上げる」と息巻いているが、サラリーマンにとっては足かせが外せる時が遠のいただけであって「死ぬまで企業が生き甲斐を与えてくれる」と考えるのには違和感が大きい。

今でも雇用延長を65歳までとした会社が多いが、それが70歳になったとしてもそこで人生が終わる訳ではないのは誰もが承知している。
65歳か70歳にはほとんどの人が退職の日を迎えることになるが、その後の人生を誰もが想像できているのだろうか。

私と同じように退職後の人生を想像することができなくても、何となく惰性で雇用延長を受け入れている人も多いだろう。
サラリーマンにとって退職の時期が早いか遅いかの違いはあってもいずれ必ず訪れる。

退職後の人生が想像できている人には何も言うことはないが、もし想像できないなら一度時間を掛けて考えてみることをお勧めしたい。
その時には「60歳すぎたなら物事を判断する優先順位のトップからお金を外すこと」と言いたいが、これもまたいつものように自分への戒めだと受け止めたい。

コメント

  1. スーさん より:

    2020年で60歳定年を迎え、1年だけ再雇用を望んでいる者です
    参考になります。

    • saiga yumezou より:

      貴重なコメントを頂きありがとうございます。
      私も一年だけ再雇用制度を受け入れて思い切って退職しましたが、それで良かったんだと後になって言える人生にできればいいのですが自信などありません。
      結果はどうあれ健康で一日一日を大切に過ごすことで精一杯といったところです。
      ほとんどが自分の戒めに書いたようなブログですが、参考になると言って頂けたことにとても嬉しく感謝の念に堪えません。
      今後ともよろしくお願い申し上げます。