人生に信念が必要と感じる時!

Erwin GablerによるPixabayからの画像

信念が人生を変えてくれるとするなら!

若い時から強い信念を持って生きてきた人は人生に悔いなどないのではないだろうか。
信念とは「正しいと信じて疑わない気持ち」とあるが、若い時から同じ信念を持ち続け一生を貫ける人は幸せだろう。

信念とは

「一度やろうとした事は絶対に諦めない」とか「人には絶対に負けない」と言ったことも信念なのだろうが、私などはそのような強い気持ちを持続させた記憶はまったくない。
どちらかと言えば人の言葉で考えが変わり読んだ本に影響を受けてきた。

強いて言えば「人の言うことを全て鵜呑みにはせずに自分の意見を持つ」といった、人の言葉に影響を受けて失敗した経験から得た教訓のような気持ちを人生半ばから持つようになったことくらいだ。

正しいと固く信じるには知識や経験は欠かせないのではないだろうか。
例えば「お金は正義だからどんな手段を使っても手に入れる」といった信念はどこか間違っているのは誰にでも分かるように思えるが、詐欺集団の一員になっているような人はこのような信念を持ち合わせているとしか思えない。

正しいと信じるには正しいと思える根拠となる知識や経験が必要だと言うことだ。
それにより年齢を重ねて知識や経験が豊富になるにつれ信念が変わるのは必然と言えるのではないだろうか。

「信念を曲げない」とか「信念を貫く」と言ったように信念とはそう簡単に変えてはいけないような言葉といった雰囲気を持っているが、まだ人生経験の少ない年頃ならどんどん変えていくべきだと言いたい。

信念とは困難に立ち向かわなければならない時、自分自身の心を奮い立たせ勇気を与えてくれるものと捉える方が力になる。
失敗を恐れて諦めたりもう駄目だと挫けそうになった時に信念が背中を押してくれる。

人生の節目で信念について考える

例えば60歳は人生最後の節目と言えるだろう。
この60歳から最後の人生に突入するにあたり、強い信念を持って生きるのかそれとも信念など必要ないのか考えてみる。

「もう人生終盤に入り定年退職して雇用延長制度で働く程度なので信念など必要ない」と考えてしまっても誰にもとがめられることもないだろう。
信念を必要とするほど仕事上では立ち向かわなくてはならない困難も多くない。

だが考えなければならないのは仕事だけではない。
最後の人生に待ち受けている困難は、健康や生き甲斐など仕事以外に感じることの方が多くなる。
果たして強い信念を持てば60歳からの最後の人生が意義深いものになるのだろうか。

そして持つとすればどのような信念が相応しいのだろう。


60歳を過ぎたとはいえ残された人生はまだまだ長い。
その時間を有効に使い、最後に自分がやりたかったことを成し遂げようとするのなら「苦戦もするだろうが必ず成すことができるしその能力もある」といった信念を強く持つことなのだろう。

歴史に名を残した偉人に共通しているのは誰もが強い信念を持ち、どんな時もその信念に支えられていたということだ。

信念の持つ力が必要

私のような凡人は元々信念など持ち合わせていなかったと言うのが本心だ。
もちろん信念という言葉は知っているし、サラリーマン時代には会社の信念とも言える信条を毎日念仏のように唱えていた。

本来なら会社の理念を言葉にしたとも言える信条は、その意味を詳しく理解し社内でその気持ちを共有しなければならないものなのだろう。
しかし自分が作った訳でもない信条は、毎日反復するだけで自分の心の中に溶け込むものではなかった。
どちらかと言えばその信条は、社会的な建前と言った方が似合っている言葉だった。

そう考えると一人ひとりが自分に合った信念を見つけ、言葉にして毎日持ち歩くようでないと信念本来の恩恵を受けることはできないだろう。
自分の理想を言葉にして書き出し、困難に遭遇したときや挫けそうになった時にはその信念の言葉を口に出して勇気に変える。
それは悲観的になっている心を楽観的に変える切っ掛けに信念の言葉を使うと言ってもいい。

自分に相応しい信念

信念には理想だけがいいという訳でもないだろう。
時にはいつも挫ける原因になっている悪癖を戒めるような言葉も悪くはない。
楽観的であってすぐに受け入れることのできそうな言葉だ。

私の場合は三日坊主が悪癖だと自覚しているので信念を持って戒めようとするなら「とにかく続けることだ、止めてしまえばそれで終わりだ」とか「止めてしまうのは簡単だが、継続するだけで夢が叶う」などだ。

集中力が続かないと思うなら「時を惜しめ、時を捨てるな」「時間は有限だ、使わない時間は人生とは言えない」「時間は使ってこそ楽しくなる」などだ。

信念とは正しいと疑わない気持ちなので「信念こそが自分を救ってくれる」といった信念を持つのもいいだろう。
とにかく自分が本心から信じることができ、気持ちの中に違和感なく溶け込んでいくような言葉を持って信念とすることだ。

「人は悪い方には早く馴染む」と何度となく経験しているはずなのに懲りずに繰り返してしまうものだ。
例えば新型コロナウイルスの影響で狂わされたことに落ち込み挫けて何も手が付かない時、気持ちを切り替えて行動する切っ掛けになるのが忘れかけていた信念であってもいい訳だ。
おそらく信念が強い人ほど落ち込んだり挫けたりもしないのだろう。

今まで人に自慢するほどの信念を持ち合わせていない私が信念について書いているのは、今の自分への戒めを文章にしているのであって、世間の皆様に信念の意義を説いているのではないことをご了承頂きたい。

ただ、強い信念を持つことで少しでも救われると感じる人がいるとするならそれに越したことはない。
新型コロナウイルス影響で予定が狂い、更に不要不急の外出を控えることをいいことにダラダラと日々を過ごしていると感じていた私への戒めが「信念を持て」と言うことなのだ。