日課のウォーキングは想像の中で世界を歩いている

Rav_によるPixabayからの画像

歩行距離を感じるのも趣味のひとつ

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【自宅でできる人間ドック】

毎日ウォーキングをしているのは健康を維持するためとは言え、変わり映えしない景色を見ながら歩くのは味気ないものだ。
勿論田舎なので四季の移り変わりや小さな野花にも興味を持ち、前日と変わった様子はないかと目を凝らしている。

そんな毎日のウォーキングもそうそう心が動くような発見が日々落ちている訳でもないので、最近は「旅行などで行ったところ」や「行ってみたいところ」をグーグル地図で検索し、地図上で距離を測って、それらの場所を想像しながら歩くことにしている。

いつものウォーキングコースは自宅から田園風景の中を通り抜け川沿いに出て堤防を戻るコースにしているが、距離は2.5キロメートルで歩き終えるのに30分程度かかる。

例えばこれを島根県の出雲大社に例えるなら、出雲大社駅から出雲大社の入口付近までが850メートルだから出雲大社に参拝してまた出雲大社駅まで戻るコースで同じくらいになる。
出雲大社駅から出雲大社まではアスファルト舗装の道路ではなく、舗装用のインターロッキングブロックが敷き詰められ、等間隔に植えられた松が神々の国の心象を深めている。

このような風景を思い描きながら歩いていると、出雲大社に入る大鳥居やその先の松の参道などがイメージでき以前訪れた時の記憶が蘇る。

行ったことはないミャンマーのバガンだとかインレー湖など写真でしか見たことのない場所も想像してみたが、実際歩いた経験がないので起点にできる場所を決めることはできなかった。
しかし古都バガンの、朝靄の中に浮かび上がる寺院が連立した情景や、脚で櫓(ろ)をこぐインレー湖の人々のまだ見ぬ姿を想像するだけでもウォーキングの楽しさは倍増した。

同じ2.5キロメートルでも何度も訪れているソウルなら地下鉄ソウル駅を降りてから7017と呼ばれる高架道路から生まれ変わった遊歩道にエレベーターで登り、南大門市場の最寄りのフェヒョン駅を通り過ぎ、明洞の中心街を抜けてよく行くソルロンタンの店までもイメージすることができる。

昨年初めて訪れたカンボジアでもスラ・スランという王の沐浴池として作られた人工池の周囲が約2.5キロメートルなので、その池の巨大さをウォーキングコースと重ね合わせることで実感することができる。
またその近くにある西バライという人工の貯水池はスラ・スランの80倍もの面積があるのだからその規模も合わせて千年ほど前の土木工事に思いを馳せることができるのだ。

同じようにアンコールワットもトゥクトゥクなどを降りた駐車場から、アンコールワットの中央祠堂までが1キロメートルあるので第三回廊まで見学して駐車場まで戻ると2.5キロメートルぐらいにはなるだろう。

このように毎日のウォーキングコースに別の場所を重ね合わせてみたが意外にも飽きずに気分よく歩くことができている。
地図で距離を確認するなどの準備を必要とするが、健康維持の目的を超えて旅先での体力に見合った歩行距離の訓練と理由付けすれば、三日坊主の悪癖から抜け出すことができると考えたのだ。
何十年も田舎で生活しているがゆえに、車漬けの生活で歩くことを疎かにしてきた報いとは言え、足腰に自信を持てないでいるが、このウォーキングを切っ掛けに歩けることの素晴らしさを実感したい。

旅行に行けば一日二万歩程度歩くこともあるが、その距離は10キロメートル以上にもなるので疲労感を想像できるようになれば旅のプランも立てやすい。
60歳を過ぎれば後どれだけ歩くことができるのだろうかと考えてしまうが、生きている内に行って見たいところもまだまだ多く、ウォーキングをしながら計画するのも楽しみの一つだ。

このバーチャルウォーキングとでも名付けたい行動は、「登山家が世界の名峰をチャレンジするために近くの山で訓練するのと同じ」と言えば失笑されそうだが、私にとっては同じくらいの価値を感じている。

今日は中国の西にあるキルギスの伝説の湖「イシククル湖」の湖畔を歩いてみようと思っている。
日本人と見分けがつかない顔の人が多く住み、中央アジアのスイスと言われる美しい自然が魅力のキルギスには一度行って見たいと思っているが、透明度が高いイシククル湖に行くには首都ビシュケクからマルシュと言われる乗り合いタクシーで4~5時間かかるようだ。

毎日のバーチャルウォーキングで重ねた情報は実際に行くとき役に立つが、こうした予備知識がまだ行ったこともない遠くの国の土地勘までも養ってくれる。

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