自分を客観的に知る

自分を客観的に見ると、主観的に感じていたのとはかなり隔たりがあるのに気付くことがる。
テレビなどに出ている人は別として、自分の話しや声を客観的に聞く機会がないからなおさらそう感じるのかもしれない。
しかし最近自分を客観的に感じる機会が増えてきた。

客観的に自分を知る方法

例えばスマホに通話録音アプリを入れ、自分の会話を聞くと話し方や声に思っている以上に違和感を覚えるのだ。
自分としては「こんな話し方をしているつもりではない」と思う。
普段自分が感じている以上に話しが曲がりくどかったり、声質もハッキリしている方だと思っていたのに、鼻声で聞き取りにくい。

そもそも録音アプリを入れた目的は、大事な電話内容を後で聞きなおし間違いがないか確認するためなのだが、その目的より改めなければならない自分の話し方を知ってしまったのだ。

ゴルフなどでも悪い癖を直そうとするなら、自分のスイングを録画して見るのが効果的だと言われるが正にそれと同じだ。
長年ゴルフをしていて知識は豊富でもいつの間にかついてしまった悪癖を知る術は、他人に見てもらうより動画を見ると一目瞭然だ。

話し方も長年当たり前のように繰り返してきたことなので、そうそう簡単に直せる事ではないにしろ、気付いてしまった以上気をつけなければと思う。

同じように唄うことでも自覚せざるを得ないことがあったのだ。
これまでもカラオケで唄うことはよくあったのだが、自宅に録音できる環境を作り唄ってみると、自分の声の違和感と下手さ加減に愕然としてしまった。
それだけ歌を上手に聴かせるカラオケの技術が高いと言える。

自宅でも唄うときはエコーを掛け気持ちよく唄えるようにしているが、そのエコーなどのエフェクトを全て外して素の状態にしてみると聴けたものではないのだ。

しかし自覚できたことに意味がある。
自覚できないままだとこの先ずっと変わることもなく「自分の話し方は落ち着いている」とか「自分の歌はまあまあだ」と勘違いしたまま過ごすことになるので進歩はなかっただろう。

自撮りで自分を自覚

私もだが写真を撮られるのが嫌だと言う人は多いと思う。
写真で見る自分に満足できないのだ。

SNSで使おうと自撮りを始めてから気が付いたが、何十枚も取ればその中に一枚くらいはまあまあの写真が偶然撮れている。
昔のフィルムカメラではこうはいかないがデジタルだから惜しげなく撮れる。

「60歳を過ぎた男のすることではない」と言われそうだが、自分をいい方に変える手段としては使えるだろう。
自撮りと言えば若い女性のする行為のように思っていたが、我々のようなシニア層こそ自撮りに意味を持たせることができると伝えたい。

それも写真だけの自撮りではなく動画や録音なども含めると、今まで知らなかった多くの自分を自覚することができるのだ。
言い換えれば自分を客観的に知ってこそ、自分を変えることができるのだ。
そのくらい誰もが自分のことを知らないのではないだろうか。

時代も急速に変化を遂げているから、自分もその流れに乗って生きていこうと奮闘している。

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